鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



江戸幕府を開いた大将軍
徳 川 家 康


編集:yoritomo-japan.com








徳川家康像


 徳川家康(とくがわいえやす)は、戦国の世に終止符を打った江戸幕府の初代将軍。

 鎌倉幕府を開いた源頼朝を学んだともいわれ、265年間も続く泰平の世の基礎を築いた。

 「遠祖は上野国を本拠とした新田氏」と称していたのだという。





〜徳川氏発祥の地:新田荘〜

 新田氏は、河内源氏の嫡流源義国を祖とし、嫡男の義重が上野国の新田荘を本拠として新田氏を名乗ったのがはじまり。

 そして、義重の四男義季は上野国の世良田荘徳川郷に住んで徳川氏を名乗ったのだという。 


長楽寺
リンクボタン長楽寺
(太田市)
世良田東照宮
リンクボタン世良田東照宮
(太田市)

 長楽寺は徳川義季が禅宗寺院として創建した寺だが、江戸時代には家康の側近天海が入山して天台宗に改められた。

 世良田東照宮は、三代将軍家光が日光東照宮の旧社殿を移築して長楽寺境内に創建した。


大光院
リンクボタン大光院
(太田市)

 大光院は、家康が徳川の繁栄と先祖の新田義重の追善のため、増上寺で修行した呑龍を招聘して開いた寺院。





〜松平郷〜

松平氏館跡


 三河国加茂郡松平郷は、徳川家康が祖と仰ぐ新田義重の子孫・親氏が辿り着いた地。

 親氏は松平を名乗り、徳川将軍家の礎を築いた。


松平東照宮
リンクボタン松平東照宮
(豊田市)
高月院
リンクボタン高月院
(豊田市)

 松平東照宮は、松平郷の親氏の館跡に創建された家康と親氏を祀る神社。

 高月院は親氏と松平宗家二代当主の泰親の菩提寺。





伊賀八幡宮
リンクボタン伊賀八幡宮
(岡崎市)

 伊賀八幡宮は、松平宗家四代当主の親忠が松平家の守護神として創建。

 のちに三代将軍徳川家光が家康を合祀している。









 誕生

 1543年(天文11年)12月26日、三河国の岡崎城で誕生。

 父は松平広忠。

 母は於大の方(伝通院)。

 幼名は竹千代。

 幼少期に母の於大の方は広忠に離縁され、久松俊勝に再嫁したため、長い間生き別れとなった。


岡崎城
リンクボタン岡崎城
(岡崎市)


産土神
六所神社
リンクボタン六所神社
(岡崎市)


於大の方が子授けを祈願した寺
鳳来寺
リンクボタン鳳来寺
(新城市)



 駿府へ送られるはずが・・・

 1547年(天文16年)、今川氏の人質として駿河国の駿府に送られるはずだったが、尾張国の織田信秀のところへ・・・

 2年間、尾張国熱田の加藤順盛の屋敷に留め置かれた。


リンクボタン人質となった竹千代〜織田・今川の人質だった徳川家康〜



 父広忠が死去

 1549年(天文18年)3月6日、父の松平広忠が死去。

 岡崎城は今川氏に支配されることに。


松平広忠の廟所
リンクボタン松平広忠廟
(岡崎市:松應寺)



 駿府へ

 1549年(天文18年)、今川義元が織田信広の安祥城を攻略。

 捕虜にした信広と竹千代の人質交換が行われ、竹千代は駿府へ。


リンクボタン人質となった竹千代〜織田・今川の人質だった徳川家康〜



 元服

 1555年(天文24年)3月、今川義元を烏帽子親として元服し、次郎三郎元信と名乗る。

 今川義元の姪で関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶り、後に元康と改名。

 「元」は今川義元、「康」は祖父の松平清康の一字。


竹千代と今川義元の銅像
リンクボタン竹千代と今川義元
(静岡駅前)



 三河?劇(みかわそうげき)

 1555年(弘治元年)、今川氏に対する国衆による大規模な反乱が起こる。



 築山殿と結婚

 1557年(弘治3年)、今川義元の姪(伯母とも妹ともいわれる)築山殿と結婚。



 寺部城の戦い

 1558年(永禄元年)、今川氏から離反して織田信長に付いた鈴木重辰の寺部城を攻めて勝利。

 この戦いが元康の初陣。



 嫡男信康

 1559年(永禄2年)、竹千代が誕生(のちの信康)。



 上杉謙信が小田原城を攻撃

 1560年(永禄3年)3月、越後国の上杉謙信小田原城を包囲。



 桶狭間の戦い

 1560年(永禄3年)5月19日、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を破る。


織田信長と今川義元
リンクボタン桶狭間の戦い



 大樹寺で決意

 桶狭間の戦いで元康は先鋒として出陣するが、義元が敗れると三河国の大樹寺で自害を考えたのだという。

 住持の登誉天室に諭され生き抜く決意をし、今川氏が撤退した岡崎城に帰還し、今川氏から自立した。


大樹寺
リンクボタン大樹寺
(岡崎市)



 母を迎える

 桶狭間の戦い後、岡崎城に帰還した元康は、母の於大の方を迎え入れるとともに、母の夫久松俊勝と於大の方が産んだ三人の子(康元・康俊・定勝)にも松平姓を与えて家臣として迎えた。


岡崎城
リンクボタン岡崎城
(岡崎市)



 牛久保城合戦

 1561年(永禄4年)4月11日、牛久保城を奇襲。



 善明堤の戦い

 1561年(永禄4年)4月15日、吉良義昭と善明堤で戦って多くの家臣を失う。



 藤波畷の戦い
(ふじなみなわてのたたかい)

 1561年(永禄4年)9月13日、藤波畷の戦いで吉良義昭を降伏させる。



 織田信長と同盟

 1562年(永禄5年)、織田信長の清州城を訪れ、同盟を締結(清州同盟)。


清州城
リンクボタン清州城
(清須市)



 家康に改名

 1563年(永禄6年)、元康から家康に改名。



 三河一向一揆

 1563年(永禄6年)に起こった反乱。

 翌年鎮圧するが、三方ヶ原の戦い・伊賀越えと並ぶ三大危機とされている。



 徳川に改姓

 1566年(永禄9年)までに、三河国をほぼ平定した家康は、三河守に叙任され、松平から徳川に改姓した。

 この時点では藤原氏を称していたらしい・・・。



 長男信康が結婚

 1567年(永禄10年)5月、長男の信康が織田信長の娘徳姫と結婚。



 稲葉山城の戦い

 1567年(永禄10年)、織田信長が斎藤氏の稲葉山城を落とす。

 信長は小牧山城から稲葉山城に移り、岐阜城と改名している。


岐阜城
リンクボタン岐阜城
(岐阜市)



 織田信長が上洛

 1568年(永禄11年)10月、織田信長が足利義昭を奉じて上洛し、室町幕府を再興する。



 武田信玄の駿河侵攻

 1568年(永禄11年)12月、甲斐国の武田信玄が駿河国の今川領内や相模国の北条領内に侵攻。

 家康は信玄と協定を結ぶが、翌年決裂。


久能城の石垣
リンクボタン久能城の石垣
(信玄が久能山に築いた城)



 掛川城を開城させる

 1568年(永禄11年)、遠江に侵攻して曳馬城を落とし、翌年2月には掛川城の今川氏真を降伏させる。


元城町東照宮
リンクボタン元城町東照宮
(曳馬城跡・浜松市)


掛川城
リンクボタン掛川城
(掛川市)



 岡崎城から浜松城へ

 1570年(元亀元年)、岡崎城から浜松城に移る。


浜松城
リンクボタン浜松城
(浜松市)



 姉川の戦い

 1570年(元亀元年)6月、織田信長と連合して浅井長政・朝倉義景の連合軍と合戦。



 甲相同盟

 1571年(元亀2年)、破綻していた武田氏と北条氏の同盟が復活。



 武田信玄の西上

 1572年(元亀2年)10月3日、武田信玄が遠江国・三河国に侵攻を開始。



 二俣城の戦い

 1572年(元亀3年)、遠江に信仰した武田信玄は、徳川方の只来城・天方城・一宮城・飯田城・格和城・向笠城・匂坂城を攻略。

 10月14日、家康は一言坂の戦いに敗れ、12月には二俣城を攻略された。 


二俣城跡
リンクボタン二俣城跡
(浜松市)



 三方ヶ原の戦い

 1572年(元亀3年)12月、武田信玄を迎え撃って敗北。


三方ヶ原古戦場
リンクボタン三方ヶ原古戦場碑
(浜松市)



 武田信玄の死去

 1573年(元亀4年)4月、三河国に進軍した武田信玄が病に倒れ、長篠城で療養していたが、武田軍は甲斐国へ撤退。

 信玄は4月12日に死去した。


武田信玄の墓
リンクボタン武田信玄の墓
(甲州市:恵林寺)



 小谷城落城

 1573年(元亀4年)9月1日、織田信長が浅井長政の小谷城を落とす。



 長浜城

 1573年(元亀4年)、羽柴秀吉が長浜城を築く。


長浜城址
リンクボタン長浜城址
(長浜市)



 長篠・設楽原の戦い

 1575年(天正3年)5月21日、織田信長と連合して、武田勝頼と戦って勝利。 


長篠・設楽原古戦場 馬防柵
リンクボタン長篠・設楽原古戦場
(新城市)



 上杉謙信が死去

 1578年(天正6年)3月13日、越後国の上杉謙信が死去。



 北条氏と同盟

 1579年(天正7年)4月7日、長丸が誕生(のちの秀忠)。


徳川秀忠誕生の井戸
リンクボタン徳川秀忠誕生の井戸
(浜松市)


産土神
五社神社・諏訪神社
リンクボタン五社神社・諏訪神社
(浜松市)



 北条氏と同盟

 1579年(天正7年)、前年に甲相同盟が破綻したことで、徳川と北条が同盟を結ぶ。



 正妻築山殿と嫡男信康

 1579年(天正7年)8月29日、正妻の築山殿を家臣に命じて殺害。

 武田勝頼に内通した罪を織田信長に咎められたためで、9月15日には織田信長の要求により嫡男の信康に切腹を命ずる。


西来院月窟廟
リンクボタン築山殿廟堂
(浜松市・西来院)


松平信康廟
リンクボタン松平信康廟
(浜松市・清瀧寺)


リンクボタン築山殿〜正室を殺害し嫡男信康を自害させた徳川家康〜



 阿茶局

 1579年(天正7年)、阿茶局が側室となる。


阿茶局の宝篋印塔
リンクボタン阿茶局の宝篋印塔
(東京江東区・雲光院)



 甲州征伐

 1582年(天正10年)3月、信長とともに武田勝頼を滅ぼし、駿河国を手に入れる。



 安土城訪問

 1582年(天正10年)5月、駿河国を拝領の礼のため安土城を訪問。


安土城跡
リンクボタン安土城跡
(近江八幡市)



 本能寺の変

 1582年(天正10年)6月2日、明智光秀の謀反により織田信長が本能寺で討たれる(本能寺の変)。

 信長の嫡男信忠は二条殿で自刃。

 堺を遊覧していた家康は、知恩院での自刃も考えたようだが、伊賀越えで4日に三河国に辿り着き、岡崎城へ帰還。


本能寺跡
リンクボタン本能寺跡
二条殿址
リンクボタン二条殿址


本能寺
リンクボタン本能寺
本能寺信長廟
リンクボタン信長公廟
(京都:本能寺)



 山崎の戦い

 1582年(天正10年)6月13日、明智光秀が羽柴秀吉との合戦に敗北。



 賤ヶ岳の戦い

 1583年(天正11年)4月24日、柴田勝家が羽柴秀吉に敗れ滅亡。



 小牧・長久手の戦い

 1584年(天正12年)、尾張国の小牧・長久手で羽柴秀吉と合戦。

 秀吉は犬山城を本陣とし、家康は小牧山城を本陣として戦いが始まったが、和睦している。


小牧山
リンクボタン小牧山
(小牧市)


犬山城
リンクボタン犬山城
(犬山市)



 秀吉が関白に

 1585年(天正13年)7月11日、羽柴秀吉が前関白の近衛前久の猶子として関白に叙任される。

 翌年、姓を「藤原」から「豊臣」に改めている。



 駿府に城を築く

 1586年(天正14年)、浜松城から駿府城に移る。


駿府城公園
リンクボタン駿府城公園
(静岡市)



 秀吉の妹と結婚

 1586年(天正14年)5月14日、豊臣秀吉の妹朝日姫を正室として迎える。



 豊臣秀吉に臣従

 1586年(天正14年)10月27日、大坂城で豊臣秀吉に臣従することを表明。







 小田原征伐

 1590年(天正18年)2月、豊臣秀吉が小田原攻めを開始。

 秀吉が石垣山城を築くと、7月5日、北条氏直が降伏し、小田原城が開城される。


小田原城
リンクボタン小田原城
(小田原市)


石垣山一夜城
リンクボタン石垣山城
(小田原市)



 関東へ移封

 小田原征伐後、駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国の5か国を召し上げられ、北条氏の旧領の武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国・下野国・常陸国の関八州に移封され、江戸城を居城とする。


江戸城
リンクボタン江戸城
(東京千代田区)



 佐和山城

 1591年(天正19年)、近江国の佐和山城が石田三成の城となる(時期については諸説ある)。


佐和山城址
リンクボタン佐和山城址



 秀忠が信長の姪・江と結婚

 1595年(文禄4年)、嫡男秀忠が浅井長政と市(信長の妹)との娘・江(崇源院)と結婚。


徳川秀忠と崇源院の宝塔
リンクボタン秀忠と崇源院の宝塔
(増上寺御霊屋)



 増上寺

 1598年(慶長3年)、江戸城の拡張に伴い増上寺を日比谷から芝に移す。


増上寺
リンクボタン増上寺



 朝鮮出兵

 1592年(文禄元年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵を開始。

 家康は名護屋城に在陣するが渡海せず。



 豊臣秀頼の誕生

 1593年(文禄2年)8月3日、豊臣秀吉に三男・拾丸(ひろいまる)が誕生。

 母は浅井長政と織田信長の妹・市の娘・茶々(淀殿)。



 豊臣秀次の謀反

 1595年(文禄4年)8月3日、豊臣秀吉の甥で豊臣家二代関白の豊臣秀次が自害。


豊臣秀次供養塔
リンクボタン豊臣秀次供養塔
(京都:瑞泉寺)



 朝鮮出兵の再開

 1597年(慶長2年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵を再開。

 今回も家康は渡海せず。



 豊臣秀吉死去

 1598年(慶長3年)8月18日、伏見城で豊臣秀吉が死去。

 「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」と遺言したのだという。

 伏見城には家康が入ることに。


伏見城
リンクボタン伏見城
(京都)



 関ヶ原の戦い

 1600年(慶長5年)9月15日、関ヶ原で石田三成を中心とする反徳川軍を撃破。


関ヶ原古戦場
リンクボタン関ヶ原古戦場
(岐阜県関ヶ原町)



 東本願寺

 1602年(慶長7年)、教如に寺地を与え東本願寺を創立させる。


東本願寺御影堂
リンクボタン東本願寺
(京都)



 母の於大の方が死去

 1602年(慶長7年)、伏見城で於大の方が亡くなり、江戸で火葬され伝通院に葬られた。


伝通院:於大の方の墓
リンクボタン於大の方の墓
(東京文京区:伝通院)



 征夷大将軍

 1603年(慶長8年)2月12日、征夷大将軍に任ぜられる。



 二条城

 1603年(慶長8年)、上洛時に滞在するための二条城を築城。


二条城東大手門
リンクボタン二条城
(京都)



 彦根城

 1603年(慶長8年)、徳川四天王のひとり井伊直政の嫡男・直継(直勝)が近江国犬上郡に彦根城を築く。


彦根城
リンクボタン彦根城
(彦根市)



 後継者に秀忠

 1605年(慶長10年)、将軍職を辞し、嫡子の秀忠を二代将軍とする。



 高台寺

 1606年(慶長11年)、東山に移り住んだ豊臣秀吉の正室・高台院(北政所・寧々)が秀吉の冥福を祈るため高台寺を建立。


圓徳院
リンクボタン圓徳院
(京都高台院屋敷)
高台寺開山堂
リンクボタン高台寺
(京都)



 駿府で大御所政治

 1607年(慶長12年)、駿府城に移り大御所としての政治を開始。


駿府城公園徳川家康像
リンクボタン徳川家康像
(駿府城公園)



 新田義重に鎮守府将軍を贈官

 1611年(慶長16年)、先祖とする新田義重に鎮守府将軍、父の松平広忠に権大納言を贈官。


大光院新田義重の墓
リンクボタン新田義重の墓
(太田市:大光院)



 清洲越し

 名古屋城を築城し、1612年(慶長17年)から1616年(元和2年)にかけて清州城から名古屋城への移転が行われた。


名古屋城
リンクボタン名古屋城
(名古屋市)



 大阪冬の陣

 1614年(慶長19年)、方広寺鐘銘事件をきっかけに豊臣氏に宣戦布告。

 大坂城を包囲し、徳川に有利な形で和睦を成立させている。


方広寺梵鐘
リンクボタン方広寺の梵鐘
(京都)



 大阪夏の陣

 1615年(慶長20年)5月8日、豊臣秀頼と淀殿が自害し豊臣氏が滅亡。


大坂城
リンクボタン大坂城



 法令発布

 1615年(慶長20年)、諸大名統制のための全13ヶ条からなる「武家諸法度」と、天皇及び公家に対する関係を確立するための「禁中並公家諸法度」を発布。



 死去

 1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去(75歳)。

 遺骸は久能山に葬られた。


久能山東照宮
リンクボタン久能山東照宮
(静岡市)



 東照大権現

 1617年(元和3年)2月21日、東照大権現の神号が与えられる。



 日光へ分霊

 1617年(元和3年)4月8日、日光山に分霊。


日光東照宮
リンクボタン日光東照宮



 金地院東照宮

 1628年(寛永5年)、金地院以心崇伝が家康の遺言により建立。


金地院東照宮
リンクボタン金地院東照宮
(京都)



 東照宮

 1645年(正保2年)11月3日、宮号宣下により東照宮となる。



 瀧山東照宮

 1646年(正保3年)、瀧山寺境内に瀧山東照宮を建立。


滝山東照宮
リンクボタン瀧山東照宮
(岡崎市)



 鳳来山東照宮

 1651年(慶安4年)、鳳来寺境内に鳳来山東照宮を建立。


東照宮
リンクボタン鳳来山東照宮
(新城市)








後鳥羽VS義時
承久の乱
60年に一度の祭礼
円覚寺洪鐘祭

2022年の大河は北条義時
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