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英勝院(えいしょういん)は、徳川家康の側室。 父は太田康資。 母は北条氏康の養女だった遠山綱景の娘(諸説ある)。 太田氏は源頼光を祖とする摂津源氏。 遠山綱景は源頼朝の挙兵で活躍した加藤景廉の子孫。 |
太田道灌 |
資康 |
資高 |
康資 |
英勝院 |
「梶」・「勝」などと称された英勝院。 関ヶ原の戦いや大坂の陣にも同行し、関ヶ原で勝利したことで「梶」から「勝」と改名されたのだとか。 |
1607年(慶長12年)、家康の最後の子となる市姫を出産。 市姫は仙台藩主伊達政宗の嫡男・虎菊丸(のちの伊達忠宗)と婚約するが、4歳で夭折してしまう。 不憫に思った家康は、徳川頼房、松平忠昌、外孫振姫らの養母としたのだという。 徳川頼房は側室の養珠院が産んだ子。 松平忠昌は側室の長勝院が産んだ結城秀康の子。 振姫は次女の督姫の娘。 1616年(元和2年)に家康が死去すると英勝院と称し、江戸田安の比丘尼屋敷(隠居所)で暮らすことに。 1634年(寛永11年)、徳川家光より先祖太田道灌の旧蹟(鎌倉)を賜り、菩提所となる英勝寺を建立した。 1642年(寛永19年)8月23日死去(65歳)。 法号は英勝院殿長誉清春大禅定尼。 英勝寺の他に静岡県三島市の妙法華寺が墓所となっている。 |
英勝寺の開山は、水戸藩初代藩主・徳川頼房の娘・玉峯清因。 |
英勝寺の裏山には先祖太田道灌の首塚。 |
松平頼重は、1622年(元和8年)、水戸藩初代藩主・徳川頼房の長子として誕生。 母は久昌院。 久昌院が懐妊すると、頼房は尾張徳川家・紀州徳川家に男子がいなかったのに遠慮して堕胎を命じた。 しかし、家老の三木之次夫妻は、家康から頼房の生母と同等の地位を与えられていた英勝院に相談し、密かに出産させた。 その後、出家させるため天竜寺慈済院に入れられた頼重だが、1632(寛永9年)、英勝院の懇願によって江戸の水戸藩邸に入ることができたのだという。 水戸藩の世継ぎは同母弟の光圀に決定されたが、1639年(寛永16年)に常陸下館藩主となり、1642(寛永19年)5月には讃岐高松藩主となった。 |
高松城の二代藩主は光圀の子が、水戸藩三代藩主は頼重の子がなっている。 |
妙法華寺は、日蓮六老僧の筆頭・日昭が鎌倉濱土に建てた法華堂を前身とする寺。 各地を転々とした後、徳川家康の側室養珠院(お万の方)と英勝院・太田道灌の末孫などの尽力により再興された。 養珠院は、英勝院が養母となった徳川頼房の生母。 濱土の法華堂跡には実相寺が建っている。 |
太田氏は代々日蓮宗を信仰し、太田道灌は江戸城鎮護の祈願所として武蔵国平河村に本住院を創建している(現在の墨田区・法恩寺)。 英勝院の父康資は、日蓮の出身地に建立された誕生寺に墓が営まれている。 兄の重正は妙法華寺が墓所。 |
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