中世歴史めぐり

徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮

徳川家康



督 姫
徳川家康の次女


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督姫



 督姫(とくひめ)は、徳川家康の次女。

 母は西郡局

 実名は於普宇(おふう)。

 生年は、1565年(永禄8年)とする説と、1575年(天正3年)とする説がある。

 1582年(天正10年)、甲州征伐で武田勝頼が滅び、本能寺の変で織田信長が横死すると、武田の遺領で天正壬後の乱が起こる。

 家康は新府城を本陣として北条氏直と対峙するが、信長の次男・信雄と三男・信孝からの勧告により和睦。

 この時、和睦の証として督姫が氏直に嫁いだ。

 氏直との間に2女を儲けたが、1590年( 天正18年)の小田原征伐で北条氏は滅亡。

 小田原城城を開城した氏直は助命されて高野山での謹慎後、翌年には豊臣家の大名として復活したが、間もなく死去している。

 1594年(文禄3年)、豊臣秀吉の仲介で三河吉田城主の池田輝政に再嫁。

 秀吉は淀殿の妹・崇源院を輝政に嫁がせようとしていたようだが、家康の頼みで督姫を嫁がせることにしたのだという。

 崇源院は、翌年、家康の嗣子・秀忠に嫁いでいる。

 1615年(慶長20年)、督姫は二条城で死去。

 墓所は知恩院の塔頭・良正院。



〜氏直との2人の女子〜

 長女の勝姫は、1593年(文禄2年)に死去。

 次女の万姫は、池田輝政の養女となり、輝政の長男利隆の許嫁だったともいわれるが、1602年(慶長7年)に死去している。



〜輝政との5男2女〜

 千姫(茶々姫)は京極高広の正室。

 池田忠継は備前岡山藩初代藩主・鳥取池田家初代。

 池田忠雄は備前岡山藩二代藩主。

 池田輝澄は福本池田家初代、松平姓を許され松平左近を称した。

 池田政綱は播磨国赤穂藩初代藩主。

 振姫は仙台藩主伊達忠宗の正室。

 池田輝興は播磨赤穂藩二代藩主・輝興系池田家初代。









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