鎌倉手帳(寺社散策)

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    渋沢栄一「晴天を衝け」  武士「鎌倉殿の13人」



鎌倉殿の13人
(2021/04/22更新)

編集:yoritomo-japan.com







 2022年の大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。

 北条義時が鎌倉幕府の権力者となるまでを描いたドラマになるそうです。


武士



「鎌倉殿」とは?

 「鎌倉殿」は、鎌倉武家政権の長。

 1180年(治承4年)8月17日、伊豆国源氏再興の挙兵をした源頼朝

 10月6日(7日とも)には源氏ゆかりの鎌倉に入って本拠とし、12月12日には新造の御所で御家人311人から「鎌倉の主」に推戴されました。

 リンクボタン新亭完成・武家の都の誕生


〜鎌倉殿と征夷大将軍〜

 「鎌倉殿」=「征夷大将軍」であったとは限りません。

 1180年(治承4年)、源頼朝は関東を制圧して鎌倉殿と呼ばれるようになりますが、征夷大将軍になったのは1192年(建久3年)のこと。

 二代源頼家は、1199年(建久10年)1月に家督を相続しますが、征夷大将軍になったのは1202年(建仁2年)7月のこと。

 1219年(建保7年)1月、三代源実朝が暗殺された後は、九条頼経が鎌倉殿として迎えられますが・・・

 頼経が幼かったことから北条政子が後見人となり、尼将軍と呼ばれるようになります。

 以後、『吾妻鏡』では政子を鎌倉殿として扱っているようです。

 リンクボタン鎌倉殿:北条政子


〜鎌倉殿〜

源頼朝

源頼家

源実朝



「13人」とは?

 「13人」とは、源頼朝に仕えた有力者たちのうち、頼朝亡き後、二代頼家の時代に執られた政策「十三人の合議制」の構成員。


〜宿老13人の合議制〜

 『吾妻鏡』によると・・・

 1199年(建久10年)1月13日、鎌倉に武家の都を創った源頼朝が死去すると、嫡男の頼家は20日に左中将となり、26日には頼朝の家督を相続します。

 しかし・・・

 頼家の政治手腕に不安を抱いた宿老たちは、4月12日、頼家が直接訴訟を裁断することを停止させ、宿老十三人による合議によって裁判することを決定しています。

 ただ、上記の理由は『吾妻鏡』から推測できるものであって、どのような理由から親裁停止としたのかは議論があるようです。

 また、親裁停止ではなく、訴訟制度を整備したもので、「頼家への取次者13人が決定された」という説があります。

 さらに、頼朝亡き後、幕府の主導権を握ったのは、大江広元中原親能ら貴族出身の官僚であったことから、有力御家人の不満があったという説も。


宿老13人の合議制


(参考)
 頼朝の死の直後に起きた三左衛門事件を鎮静させたのは、大江広元中原親能だった。

リンクボタン頼朝の死と二代鎌倉殿頼家と三左衛門事件


(参考)
 1200年(正治2年)5月の陸奥国の境界裁定は、三善康信の取次によって頼家が裁決したものだった。

リンクボタン源頼家の境界裁定

リンクボタン源頼家の領地再分配政策



合議制の構成員13人

 合議制の構成員のうち、4人は京都出身の官僚。

 8人は経験豊かな御家人。

 そして、もう一人は当時38歳だったという若い北条義時


北条時政

北条義時

大江広元

三善康信

中原親能

三浦義澄

八田知家

和田義盛

比企能員

安達盛長

足立遠元

梶原景時

二階堂行政


 源頼朝の時代は完全な独裁政治。

 頼朝は武家の棟梁として東国の武士団(御家人)との主従関係を維持する一方で、公家を側近(官僚)として採用します。

 官僚は、次第に地位が高められて大きな権限を持つようになりますが、頼朝の時代は、その独裁によって御家人と官僚との調和が保たれていたようです。

 しかし、頼朝が亡くなると、そうはいきません。

 有力御家人と官僚の双方が納得する決着点が「13人の合議制」だったという説があります。

 また、若い北条義時が構成員に名を連ねた背景には、父に北条時政と姉の北条政子の存在が大きいのかと思われますが、時政と義時は他の御家人とは異なり、官僚に近い立場にあったという説もあります。







源頼朝の正妻
北条政子

伊東祐親の娘・頼朝の最初の妻
八重姫

北条政子・義時の兄
北条宗時

頼朝と政子の長女
大姫

北条時政の後妻 政子・義時の継母
牧の方

頼朝の乳母・比企能員の義母
比企尼

頼朝の乳母・小山政光の妻
寒河尼

源頼朝の弟
阿野全成

政子の妹・全成の妻
阿波局

源頼朝の弟
源義経

源頼朝・源義経の叔父
源行家

源頼朝・義経の従兄弟
木曽義仲

北条義時の正室
姫の前

北条義時の後妻(継室)
伊賀の方

北条義時の子
北条泰時

北条政子・義時の異母弟
北条時房

三浦義澄の子
三浦義村

和田義盛の三男
朝比奈義秀



源頼朝を救った武将
土肥実平

頼朝の挙兵に参じた四兄弟
佐々木四兄弟

源頼朝に鎌倉入りを進言
千葉常胤

梶原景時に暗殺された
上総広常

頼朝の乳母寒河尼の子
結城朝光

鎌倉武士の鑑
畠山重忠

畠山重忠の弓馬の友
下河辺行平

無常観を感じて出家
熊谷直実



我が国で初めて武家政権を樹立
平清盛

頼朝を助けた清盛の継母
池禅尼


平家方:相模国大庭郷の武将
大庭景親

平家方:伊豆国伊東の武将
伊東祐親


平清盛の三男:平家軍総大将
平宗盛

平清盛の五男:南都焼討の武将
平重衡



江間小四郎と呼ばれた北条義時
江間小四郎義時







合戦・謀反・暗殺


源頼朝挙兵

山木館襲撃〜源頼朝の挙兵〜

石橋山の戦い

小坪・衣笠合戦

源頼朝鎌倉入り


富士川の戦い

野木宮合戦

上総広常暗殺


源平合戦〜一ノ谷・屋島・壇ノ浦〜


源義経が活躍した合戦

宇治川の戦い

一ノ谷の戦い

三日平氏の乱と源義経

屋島の戦い

壇ノ浦の戦い


源義経の腰越状

源義経の謀反

土佐坊昌俊の源義経襲撃

吉野山

静の舞


奥州征伐


富士裾野の巻狩り

曽我兄弟の仇討

源範頼の謀反


 源頼朝亡き後、幕府政治で最も重要な訴訟裁決が将軍の手から離れたことで、幕府の実権も御家人に移ることとなりますが、それは有力御家人間の対立を生むことになります。


梶原景時の変

建仁の乱

阿野全成の誅殺

比企能員の暗殺

三日平氏の乱〜平賀朝雅〜

畠山重忠の乱

牧氏の変〜牧の方の陰謀〜

和田合戦


源実朝の暗殺

源実朝が暗殺された日

北条義時と戌神将の伝説


承久の乱

北条政子の言葉〜承久の乱〜


伊賀氏の変



京都文化博物館特別展
よみがえる承久の乱
リンクボタンよみがえる承久の乱
−後鳥羽上皇VS鎌倉北条氏−


2021/4/6(火)〜5/23(日)

 2020年(令和2年)に発見された承久の乱を描いた「承久記絵巻」の特別展。

 鎌倉の辻の薬師堂の戌神将も展示される予定です。







〜北条義時ゆかりの寺社・史跡〜

鶴岡八幡宮
鎌倉観光鶴岡八幡宮

 鶴岡八幡宮は、源頼朝が武家の都の中心に据えた武門の神。 


鎌倉覚園寺
鎌倉観光覚園寺
(鎌倉)
目黒 大圓寺
リンクボタン大円寺
(東京都目黒区)

 覚園寺は、北条義時が建てた大倉薬師堂を前身とする寺。

 大円寺の本尊・清凉寺式釈迦如来は、北条義時の菩提を弔うために建てられた釈迦堂(鎌倉・廃寺)にあった像と伝わる。


六波羅蜜寺
リンクボタン六波羅蜜寺
(京都)
六波羅探題府址碑
リンクボタン平氏六波羅第・
六波羅探題府跡碑

(京都)

 六波羅探題は、承久の乱後に朝廷の動きを監視するため設置された鎌倉幕府の出先機関。


北條寺
リンクボタン北條寺
(伊豆の国市)
豆塚神社
リンクボタン豆塚神社
(伊豆の国市)

 北條寺北条義時創建と伝わる寺で、裏山には義時と後妻伊賀の方の墓が建てられている。

 豆塚神社は、北条義時が崇敬したという社。


願成就院
リンクボタン願成就院
(伊豆の国市)

 願成就院は、1189年(文治5年)、北条時政源頼朝奥州討伐の戦勝を祈願して建立。
 北条三代(時政義時泰時)にわたって、次々に堂宇が建立され繁栄を極めた。
 本尊阿弥陀如来坐像・不動明王と二童子像(矜羯羅童子・制咤迦童子)・毘沙門天像は、時政の発願により造立された運慶の真作。


北条氏邸跡
リンクボタン北条時政邸跡
(伊豆の国市)
北条義時邸跡(江間公園)
リンクボタン北条義時邸跡
(伊豆の国市)


北条義時法華堂跡
リンクボタン北条義時法華堂跡
(鎌倉)

 1224年(元文元年)6月13日に死去した北条義時は、源頼朝の墳墓の東の山上に葬られた。



〜北条の家紋は江の島龍神の鱗〜

江の島
リンクボタン江の島

 鎌倉幕府の草創のはじめ、北条時政江の島に参籠したのだという。

 その時、龍神が落としていった3つの鱗を北条の家紋としたのだとか(ミツウロコ(三つ鱗))。


北条時政の龍神伝説



〜鎌倉で源頼朝と北条氏をめぐる〜

源頼朝をめぐる鎌倉

北条氏をめぐる鎌倉



〜源頼朝と北条氏ゆかりの地〜

源頼朝配流地・北条氏発祥地

伊豆・箱根

熱海の源頼朝伝説



〜鎌倉幕府の公式行事・二所詣〜

源頼朝の伊豆・箱根の二所詣


伊豆山神社

箱根神社

三嶋大社



〜鎌倉との繋がりを求めて〜

奈良・京都

源義経をめぐる京都

奥州平泉

源頼朝をめぐる大阪







源頼朝ゆかりの武将

歴史めぐり源頼朝



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2022年の大河は北条義時
鎌倉殿の13人 北条義時