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源頼朝の寄進と伝えられる多宝塔の北西にある二基の宝篋印塔は、右が頼朝、左が亀谷禅尼の供養塔と伝えられている。 亀谷禅尼は、中原親能の妻で頼朝の次女三幡(乙姫)の乳母をつとめた。 『石山寺縁起』によれば、 中原親能は頼朝の命により山城国和束における謀反人を追討する際、石山寺に参詣。 すると毘沙門天が現れ、その加護により勝利を収めたのだという。 その報恩のため、親能は勝南院を建立し、亀谷禅尼は剃髪後に石山寺に住して宝塔院を建立して大日如来の胎内に頼朝の髪を収めて日々勤行したのだと伝えられている。 親能は、二代将軍源頼家の時代に執られた「十三人の合議制」の宿老の一人。 |
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石山寺の東大門・鐘楼・多宝塔は源頼朝の寄進と伝えられている。 |
石山寺は、聖武天皇の勅願によって良弁が開いた。 東大寺との関りが深い寺院。 日本最古といわれる国宝の多宝塔は、源頼朝の寄進と伝えられる。 |
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