鎌倉手帳(寺社散策)

宿老13人の合議制
〜源頼家の時代の政策〜

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 1199年(建久10年)1月、源頼朝が死去すると、嫡男頼家が家督を相続するが、同年(正治元年)4月12日、北条時政北条政子頼家の訴訟親裁を停止し、宿老13人による合議制によることを決定した。

 頼家が若年であるとの理由から執られた措置のようでもあるが、頼家の乳母夫比企氏と北条氏の対立など、幕府の実権争いが根底にあったものと考えられる。

 この決定に反発した頼家は、小笠原長経、比企宗員、比企時員、中野能成らの近習5人を指名して、この5人に手向かってはならず、この5人でなければ目通りを許さないという決定を下している。

 その後の1203年(建仁3年)8月27日、頼家が病床についた際に、日本国総守護職と関東28か国の地頭職を頼家の長子一幡に、関西38か国の地頭職を千幡(源実朝)に譲る決定が下される。

 その後間もなく起こるのが比企の乱(比企能員の変)。

 9月2日、比企能員が北条時政に暗殺され、比企一族も北条義時らに攻められて滅亡。

 頼家は伊豆修禅寺に幽閉され、翌年暗殺されている。

 この事件後、北条時政は大江広元と並んで政所の別当となり、三代将軍となった源実朝の補佐を務めることとなる。


北条時政という武将(okadoのブログ)

二代将軍源頼家(okadoのブログ)





〜宿老13人〜


リンクボタン北条時政

 初代執権。
 源頼家の外祖父。
 1200年((正治2年)、梶原景時を滅ぼす(梶原景時の変)。
 1203年(建仁3年)、比企氏を滅ぼす(比企氏の乱)。
 1205年(元久2年)、畠山重忠を滅ぼすが(畠山重忠の乱)、直後の牧の方の陰謀事件で失脚し、伊豆国へ追放される。


リンクボタン北条義時

 北条時政の嫡男。
 1205年(元久2年)の畠山重忠の乱牧の方の陰謀を機に二代執権となる。
 1213年(建暦3年)、和田義盛を滅ぼす(和田合戦)。
 1219年(建保7年)、源実朝公暁に暗殺される(源実朝の暗殺)。
 1221年(承久3年)、後鳥羽上皇の挙兵を鎮圧(承久の乱)。


リンクボタン大江広元

 政所別当。
 源頼朝の死後も幕府の中で中心的な役割を担い、鎌倉幕府の基礎を築き上げた公家。


三善康信

 問注所執事。
 伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝に、定期的に京都の情報を伝えていた公家。
 母が頼朝の乳母の妹だったのだという。


中原親能

 公家出身の御家人。
 政所公事奉行。


リンクボタン三浦義澄

 源氏再興の挙兵後、石橋山の戦いに敗れ、安房国に渡った源頼朝を助けた武将。
 三浦大介義明の嫡男。
 平家討追に尽力し、頼朝の征夷大将軍の辞令を受け取った。


八田知家

 源義朝の落胤ともいわれ、源頼朝の挙兵に参陣。
 1203年(建仁3年)、阿野全成を討った(阿野全成の誅殺)。


リンクボタン和田義盛

 侍所別当。
 三浦大介義明の孫。
 1213年(建暦3年)の和田合戦で滅亡。


比企能員

 源頼朝の乳母比企尼の養子。
 源頼家の乳母夫。
 1203年(建仁3年)の比企の乱で滅亡。


リンクボタン安達盛長

 伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝を援助した武将。
 源頼朝の乳母比企尼の娘婿。


足立遠元

 足立氏の祖。
 安達盛長の甥に当たる。


リンクボタン梶原景時

 石橋山の戦いで平家方にありながら源頼朝を助けたという武将。
 源頼家の乳母夫。
 1199年(正治元年)失脚、翌年討死(梶原景時の変)。


二階堂行政

 政所執事を務めた公家。


 13人による合議制の措置は、のちに三代執権北条泰時が設置する「評定衆」に引き継がれていった。


北条泰時の政治・・・連署と評定衆の設置(okadoのブログ)



2022年のNHK大河ドラマは・・・
北条義時!


 NHKが令和2年1月8日に発表した情報によると、2022年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。
 主人公は北条義時。
 演じるのは小栗旬。
 脚本は三谷幸喜氏。


鎌倉殿の13人〜2022年の大河ドラマは北条義時〜(okadoのブログ)


源頼朝挙兵 梶原景時の変

比企能員の暗殺 畠山重忠の乱

和田合戦 源実朝の暗殺


承久の乱

北条政子の言葉〜承久の乱〜







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