鎌倉手帳(寺社散策)

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源範頼・源頼家終焉の地
修 禅 寺

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修禅寺


 修禅寺(曹洞宗)は、「修善寺」という地名の基となった寺。

 正式呼称は「福地山修禅萬安禅寺」(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)。

 修善寺温泉街の中心にあり、807年(大同2年)、弘法大師の創建と伝えられている。

 桂山谷寺と呼ばれていたが鎌倉時代に修禅寺と呼ばれるようになる。

 当初は真言宗の寺であったが、建長寺開山の蘭渓道隆が住したことで臨済宗に改宗され、のちに韮山城主の北条早雲によって曹洞宗の寺として再興された。

 本尊は大日如来。

 秘仏で例年11月1日から10日の間に一般公開される。

 源頼朝の弟範頼と2代将軍源頼家が幽閉され、殺害された寺。



〜本尊に納められていた3束の髪〜

 本尊の木造大日如来坐像は、1984年(昭和59年)の解体修理の際に発見された墨書から、1210年(承元4年)に慶派仏師の実慶による造立と判明している(国重文)。

 解体修理では謎の頭髪も発見され、源頼家のもの・北条政子のもの・頼家室の辻殿のものといった説が出されたのだという。

 科学検査の結果、女性の頭髪というところまで判明したが、結論は出ずに再び胎内に納められている。



修禅寺山門
山門

修禅寺仁王像 修禅寺仁王像

 山門に安置されている仁王像は、もとは総門にあったもの。

 総門がなくなってからは、横瀬八幡宮に置かれていたが、指月殿に移された後、現在は山門に安置されている。


修禅寺鐘楼
鐘楼


修禅寺手水
リンクボタン手水
修禅寺奥の院
リンクボタン奥の院









日枝神社
リンクボタン日枝神社
もと修禅寺の鎮守
庚申塔
リンクボタン信功院跡
源範頼幽閉の地


指月殿
リンクボタン指月殿
北条政子建立
源頼家の墓
リンクボタン源頼家の墓
鎌倉幕府二代将軍


十三士の墓
リンクボタン十三士の墓
源頼家の家臣
おしゃぶり婆さん
リンクボタンおしゃぶり婆さん
子育ての神様


源義経像
リンクボタン源義経像
源頼朝の異母弟
安達盛長の墓
リンクボタン安達盛長の墓
源頼朝の側近


源範頼の墓
リンクボタン源範頼の墓
源頼朝の異母弟
独鈷の湯
リンクボタン独鈷の湯


筥湯
リンクボタン筥湯
竹林の小径
リンクボタン竹林の小径



頼家の面
リンクボタン源頼家と死相の面

 修禅寺に伝わる頼家の「死相の面」。

 岡本綺堂は、この面を拝観して『修禅寺物語』を描いたのだという。


源頼家の病相の面
リンクボタン病相の面
(伊豆の国市:光照寺)

 光照寺には、頼家の「病相の面」が伝えられている。

 北条政子が病の頼家の様子を写させた面なのだとか。





〜北条政子が納めた宋版放光般若経〜

 「宋版放光般若経」は、中国宋時代の一切経。

 北条政子は、修禅寺で悲運の最期を遂げた子源頼家の菩提を弔うために、数千巻にも及ぶ「宋版放光般若経」を納めたのだという。

 残されている巻ニ十三の巻末欄外には「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提 尼置之」の墨書があり、政子の直筆といわれている。








歴史めぐり源頼朝




修善寺は温泉・自然に恵まれた歴史の街

修禅寺
修禅寺

静岡県伊豆市修善寺964

伊豆箱根鉄道駿豆線「修善寺駅」より
修善寺温泉行バス。
「修善寺温泉」下車



修禅寺歴史めぐりMAP
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右上のフルスクリーンをクリック。








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