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光 照 寺
静岡県伊豆の国市

編集:yoritomo-japan.com








伊豆の国市光照寺


 光照寺(こうしょうじ)は、願成就院の支院だった寺院で、建久年間に俊乗坊重源の開創と伝えられる(もとの名は松寿院)。

 源頼朝の宿館跡とも伝えられ、願成就院の池の島にあったとされる弁財天や、古い舞楽面が残されている。

 舞楽面は、修禅寺に幽閉されていた源頼家の「病相の面」で、鎌倉へ運ばれる途中で頼家が亡くなったため、この寺に納められたのだという。

 面を鎌倉へ運ぶ使者が武田信光だったという言い伝えもある。

 1397年(応永4年)、浄土宗に改宗。

 本尊は阿弥陀如来。



願成就院
リンクボタン願成就院

 願成就院は、北条時政創建の寺院。

 時政義時泰時の三代にわたって伽藍の整備が行われ、平泉毛越寺を模したものだったのだという。

 『吾妻鏡』には、その北隣に源頼朝の別荘が建てられたことが記録されている。



リンクボタン願成就院建立の逸話
(興味が湧く『吾妻鏡』の記録)









〜頼家の「病相の面」の伝説〜

 『日本伝説叢書:伊豆の巻』によると・・・

 修禅寺に幽閉された源頼家は、北条氏が密かに漆を入れた温湯に入浴し、全身が漆によって皮膚炎となり、容貌は特に醜いものになった。

 北条氏は事実を曲げて「たちの悪い病気」だとし、北条政子はその容貌を木に刻んで鎌倉へ持ってくるように命じたのだとか・・・



源頼家の病相の面
病相の面


 面を運ぶ使者となったのが武田信光

 事情を知らない信光は、頼家の面を持って修禅寺を出発したが、途中で頼家が殺されたことを聞いたのだという。



伊豆の国市信光寺
リンクボタン信光寺

 信光寺は、光照寺の南にある寺。

 修禅寺に流されていた源頼家が亡くなったことを知った武田信光は、出家して菩提を弔ったのだと伝えられている。





〜参考:修禅寺の死相の面〜

頼家の面
リンクボタン死相の面

 修禅寺には頼家の「死相の仮面」が伝えられている。

 岡本綺堂は、この面を拝観して『修禅寺物語』を描いたのだという。





源頼家の墓
リンクボタン源頼家の墓
(修禅寺)

 鎌倉幕府二代将軍の源頼家は、1203年(建仁3年)の比企能員の変で失脚し、修禅寺に幽閉された後、翌年、暗殺された。








北条の里〜頼朝・時政・政子をめぐる〜

歴史めぐり源頼朝




光照寺
光照寺

静岡県伊豆の国市寺家30−1

伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山駅」徒歩12分
「伊豆長岡駅」から徒歩15分



伊豆の国市・源頼朝MAP
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源頼朝配流の地・北条氏発祥の地
(伊豆の国市)

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(伊豆の国市)

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