鎌倉手帳(寺社散策)

韮山反射炉 鎌倉殿の13人



光 照 寺
静岡県伊豆の国市

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伊豆の国市光照寺


 光照寺は、願成就院の支院だった寺院で、建久年間に俊乗坊重源の開創と伝えられる(もとの名は松寿院)。

 源頼朝の宿館跡とも伝えられ、願成就院の池の島にあったとされる弁財天や、古い舞楽面が残されている。

 舞楽面は、修禅寺に幽閉されていた源頼家の病相の面で、鎌倉へ運ばれる途中で頼家が亡くなったため、この寺に納められたのだという。

 面を鎌倉へ運ぶ使者が武田信光だったという言い伝えもある。

 1397年(応永4年)、浄土宗に改宗。


願成就院
リンクボタン願成就院

 願成就院は、北条時政創建の寺院。

 時政義時泰時の三代にわたって伽藍の整備が行われ、平泉毛越寺を模したものだったのだという。

 『吾妻鏡』には、その北隣に源頼朝の別荘が建てられたことが記録されている。






〜頼家の仮面の伝説〜

 『日本伝説叢書:伊豆の巻』によると・・・

 修禅寺に幽閉された源頼家は、北条氏が密かに漆を入れた温湯に入浴し、全身が漆によって皮膚炎となり、容貌は特に醜いものになった。

 北条氏は、事実を曲げて「たちの悪い病気」だとし、北条政子はその容貌を木に刻んで鎌倉へ持ってくるように命じた。

 この使者となったのが武田信光だった。

 事情を知らない信光は、頼家の仮面を持って出発したが、信光寺の近くまで来て頼家が殺されたことを聞いた。

 そして、全てが北条氏の悪い計略だったことを知り、怒りのあまりに自殺してしまったのだという。

 ただ、頼家が暗殺されたのは1204年(元久元年)7月18日で、信光が死去したのは1248年(宝治2年)12月5日のこと。


伊豆の国市信光寺
リンクボタン信光寺

 信光寺は、武田信光が建てた寺。

 信光は、修禅寺に流されていた源頼家を見舞い、その帰路、頼家が亡くなったことを聞いて出家したのだという。


源頼家の墓
リンクボタン源頼家の墓
(修禅寺)

 鎌倉幕府二代将軍の源頼家は、1203年(建仁3年)の比企能員の変で失脚し、修禅寺に幽閉された後、翌年、暗殺された。







北条の里〜頼朝・時政・政子をめぐる〜

歴史めぐり源頼朝



光照寺
信光寺

静岡県伊豆の国市寺家30−1

伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山駅」徒歩12分
「伊豆長岡駅」から徒歩15分



伊豆の国市・源頼朝MAP
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源頼朝配流の地・北条氏発祥の地
(伊豆の国市)

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