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願成就院(真言宗)は、1189年(文治5年)、北条時政が源頼朝の奥州討伐の戦勝を祈願して建立。 北条三代(時政、義時、泰時)にわたって、次々に堂宇が建立され繁栄を極めた。 しかし、戦国期になると、北条早雲に攻められた堀越公方の足利茶々丸がこの寺に逃げ込んだことから、戦火に見舞われ衰えた。 さらに豊臣秀吉の小田原攻めにおいても戦火に見舞われ全焼した。 江戸時代に入って、北条氏貞(後北条氏の末裔)によって再興されている。 毘沙門天・不動明王・矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制咤迦童子(せいたかどうじ)の諸像は、胎内造像銘札により運慶の真作。 近年では、本尊阿弥陀如来像も運慶作ではないかとする説もある。 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
願成就院一帯が国の指定史跡となっている。 願成就院の建立に関しては『吾妻鏡』にもその記述があり、北条氏の氏寺であったと考えられている。 創建当初から七堂伽藍と池を配した壮大な寺院で、その後、北条義時が南新御堂を北条泰時が北新御堂と北の塔を建立しているという。 1491年(延徳3年)、足利茶々丸が攻められた際に寺のほとんどを焼失し、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による韮山城攻撃の際にも戦火に見舞われ、繁栄を極めた寺も衰退した。 現在、碑の建てられている場所には、北条時政が建てた南の塔があった所と推定されている。 |
願成就院の伽藍は、奥州平泉の毛越寺を模した構成だったのだという。 |
北条氏三代が夢見た極楽浄土〜伊豆の国市:願成就院〜 |
本尊阿弥陀如来坐像・不動明王と二童子像(矜羯羅童子・制咤迦童子)・毘沙門天像は、北条時政の発願により造立された運慶の真作。 |
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北条政子の七回忌に、三代執権北条泰時が奉納した地蔵菩薩像。 像は顔が北条政子の顔となっていると伝えられている。 |
![]() ![]() (北条郷) |
![]() (江間郷) |
願成就院は、守山の東側の麓に建てられた寺院。 守山の中腹には守山八幡宮があり、北西側には北条氏邸があった。 さらに狩野川の対岸には、北条の分家の江間家の初代と考えられている北条義時の邸があった。 |
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守山八幡宮は、源頼朝が源氏再興を祈願した社。 江間にある北條寺は北条義時の創建。 |
運慶〜鎌倉の武家政権と仏師運慶〜(okadoのブログ) 運慶の仏像(国宝)〜伊豆の国市:願成就院〜(okadoのブログ) 北条時政という武将(okadoのブログ) |
願成就院の裏、守山の中腹には源頼朝が源氏再興を祈願したという守山八幡宮がある。 |
静岡県伊豆の国市寺家83−1 伊豆箱根鉄道韮山駅 又は伊豆長岡駅より徒歩15分 |
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60年に一度の祭礼![]() |
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