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『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)、北条時政は伊豆国に願成就院を建立し、本尊の阿弥陀三尊と不動明王・多聞天(毘沙門天)などを安置。 これらの仏像は、時政が事前に造立させていたものなのだという。 |
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不動明王像と二童子像(矜羯羅童子・制咤迦童子)・毘沙門天像は、その胎内銘札から、1186年(文治2年)に奈良仏師・運慶が北条時政の発願により造立したことが判明している。 眷属の仏像が運慶の真作と確認されたことにより、阿弥陀如来像も運慶の作とされている。 2013年(平成25年)、阿弥陀如来坐像、不動明王及び二童子立像、毘沙門天立像は国宝に指定された。 |
願成就院は、1189年(文治5年)に源頼朝の奥州討伐の戦勝祈願のために建立したとされているが・・・ 運慶が造仏したのは3年前の1186年(文治2年)。 そのため、奥州討伐の祈願のためではなく、北条一族の繁栄や先祖の冥福を祈る氏寺として創建されたという説が有力となっている。 |
![]() (興味が湧く『吾妻鏡』の記録) |
横須賀の浄楽寺は和田義盛が建立したと伝えられる寺。 本尊は阿弥陀三尊で運慶作。 木造不動明王・毘沙門天立像も運慶の真作と判明している。 |
浄楽寺も願成就院と同じく奥州討伐の祈願のために建立されたと考えられている寺院。 義盛は北条時政の願成就院に対抗し、運慶作の仏像を安置したのではないかともいわれているが・・・ 時政や義盛は一族の繁栄と源平の争いにより疲弊していた民衆を救うために、運慶に造仏を依頼したと考えるべきなのかもしれない。 運慶は1180年(治承4年)の南都焼討で、東大寺や興福寺が焼け落ちるのを目の当たりにした仏師。 南都復興を願う運慶にとっても、鎌倉幕府の有力者二人のための造仏は大きな意味を持っていたのかも。 |
願成就院は、北条時政が源頼朝の奥州征伐の成功を祈願して創建した寺。 |
静岡県伊豆の国市寺家83−1 伊豆箱根鉄道韮山駅又は伊豆長岡駅より 徒歩15分 |
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