|
浄楽寺(浄土宗)は、1189年(文治5年)、鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛が建立したと伝えられている寺。 鎌倉光明寺の末。 鎌倉時代後期に浄土宗の僧寂恵(じゃっけい)が中興。 義盛は、三浦大介義明の孫で、源頼朝の挙兵に従った武将。 鎌倉幕府では、侍所別当として活躍した。 頼朝亡き後の1213年(建暦3年)、北条義時と対立し、由比ヶ浜で最期を遂げている(参考:和田合戦)。 浄楽寺の阿弥陀三尊像・不動明王像・毘沙門天像は、運慶の真作。 |
浄楽寺の山号は金剛山、院号は勝長寿院。 1206年(建永元年)、源頼朝が創建した鎌倉の勝長寿院が大風で倒壊した際、北条政子と和田義盛が浄楽寺に本尊の阿弥陀三尊像を移したと伝えられてきた。 そのため、阿弥陀三尊は成朝の作と考えられてきた。 |
浄楽寺の「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、和田義盛の発願により運慶が造立したもの(参考:運慶の仏像)。 毘沙門天像の胎内にあった銘札から、運慶が義盛と夫人のために造立したことが判明している。 義盛の阿弥陀三尊の発願は、奥州征伐勝利祈願のためともされているが、願成就院を建立した北条時政への対抗からともいわれる。 |
願成就院は、北条時政が奥州征伐の祈願所として建立したと伝えられ、本尊の阿弥陀如来像・毘沙門天・不動明王・矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制咤迦童子(せいたかどうじ)の諸像は運慶の真作で国宝に指定されている。![]() |
運慶諸仏の拝観 |
2024年(令和6年)まで、春・秋の特別開帳か、予約での拝観が中心でしたが・・・ 2025年(令和7年)9月1日から常時拝観できようになりました。 |
※ | 市民割引の場合は証明書が必要です。 |
※ | 団体での拝観や暗闇参り希望の場合は予約が必要です。 |
※ | 案内はありませんので、音声ガイドアプリをご利用することになります(イヤホン必須)。 |
※ | 休館日は浄楽寺HPで確認願います。 |
前島密は、日本の郵政行政を確立した人物で「日本郵政の父」と呼ばれている。 晩年を横須賀市芦名で過ごし、浄楽寺に墓が建てられている。 (参考:横浜郵便発祥の地) |
義盛創建![]() |
巴御前の菩提寺![]() |
横須賀市芦名2433 046-856-8622 「JR逗子駅」下車 長井方面行きバス「浄楽寺」下車すぐ |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|