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光明寺は、四代執権北条経時が然阿良忠を招いて開いた浄土宗の大本山(末寺56ヶ寺を有していた。)。 1243年(寛元元年)の創建と伝えられ、鎌倉四大寺にも数えられる(他は建長寺・円覚寺・遊行寺)。 良忠は浄土宗第三祖で、良忠が鎌倉に住まいしたことで浄土宗が関東以北へ広がったといわれる。 三門(山門)の扁額(「天照山」の文字)は後花園天皇の直筆と伝えられ、後土御門天皇からは「関東総本山」の称号を受け勅願所とされるとともに、「お十夜法要」も勅許された。 江戸時代には、徳川家康によって念仏信仰と仏教研鑽の根本道場として「関東十八檀林」が定められ、増上寺をはじめとする浄土宗十八ヶ寺が公式に認められ、光明寺もその一寺となった。 「檀林」とは、徳川幕府が定めた僧侶の学問所のこと。 戦後には、新しい時代の教育を目指す自立大学「鎌倉アカデミア」が開校されている。 |
鎌倉観音巡礼第18番札所 (如意輪観世音) 鎌倉地蔵巡礼第22番札所 (網引延命地蔵) |
開山 | 然阿良忠 |
開基 | 北条経時 |
本尊 | 阿弥陀如来 (鎌倉六阿弥陀) |
知恩院 浄土宗総本山 (京都) |
真如堂 お十夜発祥の地 (京都) |
開山の良忠は、鎌倉に入ると住吉谷(現正覚寺)で布教をしていたが、北条経時の帰依を受け、佐助ヶ谷に蓮華寺が創建された。 その後蓮華寺は、1243年(寛元元年)に材木座に移され「光明寺」と改められた。 |
1 | 北条(大仏)朝直が佐助ヶ谷に創建した悟真寺に良忠が入り、のちに蓮華寺と改められ、さらに材木座に移転されて「光明寺」と改名された。 ※北条朝直(ともなお)は、連署・北条時房の子で大仏流北条氏の祖。良忠の外護者だった。 |
2 | 蓮華寺は、1251年(建長3年)に北条時頼が経時の菩提を弔うために創建した。 |
蓮華寺跡 |
正覚寺 |
鎌倉の蓮華寺と光明寺〜誰がいつ創建したのか・・・〜(okadoのブログ) |
山門(三門)、大殿、庭園などの光明寺の建築物・施設等をご紹介。 境内MAP掲載。 |
2020年(令和2年)3月から大殿は大改修工事が行われています(工期は2030年(令和12年)まで)。 本尊の阿弥陀如来及び諸尊像は開山堂に移されました。 工事に伴い三尊五祖の石庭の拝観ができなくなっています。 |
2021年(令和3年)4月、大殿の保存修理が進められている過程で、本尊の阿弥陀如来像が祀られていた厨子内部から天女の壁画が発見されている。 |
米原市にある蓮華寺は、然阿良忠の門弟一向が中興開山に迎えられた寺。 寺号は良忠の佐助ヶ谷の蓮華寺からとったのだという。 1333年(元弘3年)、足利高氏(尊氏)に六波羅探題を攻め落とされた北条仲時ら140余名が自刃している。 |
宝台院は、徳川家康の側室西郷局の菩提寺。 光明寺第九世の観誉祐崇が開創した龍泉寺を始まりとする。 |
光明寺寺宝展 |
山門公開 |
毎年春には、寺宝展と山門公開が行われる。 |
観桜会 (3月) |
観蓮会 (7月) |
2023年の観桜会は4月1日・2日。 観蓮会は7月29日・30日。 |
2020年から本堂(大殿)の修理工事が始まっていることから、14日までの短縮開催となります。 |
桜 |
サツキ |
ハス |
サルスベリ |
鎌倉で唯一「精進料理」が食べられる寺(昼食のみ・予約制) |
鎌倉市材木座6−17−19 0467−22−0603 鎌倉駅東口から徒歩35分又は 小坪経由逗子駅行バス「光明寺」下車 |
除夜の鐘:鎌倉〜除夜の鐘が撞ける寺〜 光明寺の除夜の鐘と初詣 |
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