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蓮華寺(れんげじ)は、聖徳太子創建と伝えられ、法隆寺と称されていたのだという。 1284年(弘安7年)、鎌刃城主の土肥元頼が浄土宗第三祖・然阿良忠の弟子・一向を招いて再建し、八葉山蓮華寺となる。 蓮華寺という名は、良忠が鎌倉に開いた光明寺の旧名。 1333年(元弘3年)、後醍醐天皇の倒幕運動(元弘の変)で、幕府に反旗を翻した足利高氏(尊氏)らに攻め落とされた六波羅探題北方の北条仲時をはじめとする430余名が自刃した寺として知られる。 宗派は浄土宗。 本尊は釈迦如来・阿弥陀如来。 |
1333年(元弘3年)5月7日、承久の乱後に設置された六波羅探題が足利高氏(尊氏)・赤松円心らに攻め落とされた。 北方だった北条仲時は南方の北条時益とともに六波羅を脱出し、光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇を奉じて中山道を下って東国に逃れようとするが・・・ 時益は道中で野伏に襲われて討死(5月8日)、仲時も近江国番場宿で行く手を阻まれ、蓮華寺で従士432名とともに自刃したのだという(5月9日)。 光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇は、佐々木道誉に保護されて京都に戻されている。 仲時は十三代執権基時の子、初代執権時政から数えて六代の孫。 仲時の自刃から15日後の5月22日、鎌倉幕府は新田義貞によって滅ぼされた。 |
中興開山の一向は、鎌倉の蓮華寺(光明寺)の然阿良忠の門弟となった後、各地を遊行した僧。 蓮華寺で立ち往生したのだという。 |
光明寺は、良忠が鎌倉の佐助ヶ谷に建てた蓮華寺を始まりとする。 一向は、師の良忠の蓮華寺から寺号を取ったのだという。 |
蓮華寺跡 (鎌倉) |
来迎寺 (鎌倉) |
向福寺 (鎌倉) |
光照寺 (鎌倉) |
鎌倉の来迎寺・向福寺・光照寺は、一向が開いたと伝えられる寺。 |
滋賀県米原市番場511 |
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