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2024年(令和6年)のNHK大河ドラマは「光る君へ」。 主人公は、紫式部(むらさきしきぶ)。 紫式部は、平安時代中期の作家・歌人・官僚。 父は藤原為時。 母は藤原為信の娘とされるが幼い時に亡くしたのだという。 生没年は不明だが、生年は973年(天延元年)頃、没年は1031年(長元4年)頃と推定されている。 本名も不明だが「香子」という説がある。 998年(長徳4年)頃、藤原宣孝と結婚するが、わずか3年後の1001(長保3年)4月25日、宣孝は疫病のため卒去。 その現実を忘れるために物語を書き始めるが、それが評判となり、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)に仕えるようになる。 宮仕えをしながら完成させたのが五十四帖からなる『源氏物語』。 宮中へ上がった時の様子を中心に書いたのが『紫式部日記』。 ドラマのタイトルの「光る君」は、『源氏物語』の主人公・光源氏のこと。 そして、光源氏のモデルの一人とされる藤原道長のこと。 |
紫野にある雲林院は、『源氏物語』第十帖の「賢木」に登場する。 |
かつては、雲林院の敷地だった大徳寺の塔頭真珠庵には「紫式部産湯の井」がある。 紫式部は紫野で生まれ育ったといわれ、紫の名は紫野に由来するとも・・・ 娘時代の2年間は、父為時が越前守になったことから、任国の越前で過ごしたのだという。 |
曾祖父の藤原兼輔が鴨川の西に建てた旧家に住んで『源氏物語』を執筆したという紫式部。 蘆山寺は、紫式部の邸跡とされている。 |
源氏の間は、石山寺の本堂の相の間にある部屋。 1004年(寛弘元年)8月15日、石山寺に参籠中だった紫式部は、中秋の名月が琵琶湖に映る美しい景色を見て、この部屋で『源氏物語』を書き始めたのだという。 |
西国観音三十三所巡礼の根本道場の長谷寺には、紫式部・清少納言・菅原孝標の娘などが訪れた。 |
勧修寺は、醍醐天皇が母藤原胤子の菩提を弔うために建てた寺。 胤子の父藤原高藤と母宮道列子は紫式部の先祖。 光源氏と明石の君の恋の話は、高藤と列子の恋の話がモデルであるとされる。 |
紫式部の没年は不明だが、その晩年は雲林院百毫院で過ごしたのだという。 雲林院の近くには紫式部の墓がある。 隣には小野篁の墓も。 |
『源氏物語』を書き始めたという石山寺の三重宝篋印塔は、紫式部の供養塔と伝えられている。 |
小野篁のゑんま堂を始まりとする千本ゑんま堂には、紫式部の子孫といわれる円阿が建てた供養塔がある。 |
慈眼堂は、徳川家康の側近で比叡山の座主を勤めた天海の廟所。 歴代天台座主の墓所には、徳川家康や清少納言・和泉式部・紫式部の供養塔も建てられている。 |
御所は、『源氏物語』の主人公・光源氏誕生の地。 |
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京都御苑内には、藤原道長の邸宅・土御門殿や、紫式部が仕えていたという枇杷殿の跡がある。 蘆山寺の南には、道長が建てた法成寺の跡も。 |
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平安時代の内裏(御所)は、平安京のメインストリートだった朱雀大路の北にあった。 朱雀門は正門。 大極殿は大内裏(平安宮・宮城)にあった朝堂院の正殿。 |
東本願寺の飛地境内・渉成園は、光源氏のモデルの有力候補とされる源融の邸宅・河原院の一部。 |
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清凉寺は、源融の別邸「栖霞観」があった場所。 平等院は、源融の別邸「宇治殿」があった場所。 |
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」 上賀茂神社の片岡社を参拝した紫式部が詠んだ歌。 |
![]() ![]() (上賀茂神社) |
![]() ![]() (下鴨神社) |
賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭礼は「葵祭」。 紫式部は、『源氏物語』~「葵」の巻~に描いている。 |
![]() (櫟谷七野神社) |
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「朝顔の巻」に登場する朝顔の姫君は、賀茂神社に奉仕した斎王だった。 賀茂斎院は斎王の御所。 今宮神社の若宮社は斎王を祀る社。 |
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光源氏と深い関係にあった六条御息所の娘は伊勢神宮に仕える斎王となった。 野宮神社は、斎王が身を清めた野宮に鎮座する社で「賢木の巻」に描かれた。 大原野神社は紫式部の氏神ともいわれ、「行幸の巻」の舞台。 |
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「若菜上」で光源氏の兄・朱雀院が出家した寺は、仁和寺がモデルらしい。 光源氏は、その晩年、出家して大覚寺で過ごした・・・ |
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六道珍皇寺は、光源氏の母・桐壺更衣と妻のひとりだった紫上の葬儀が行われた寺のモデルとなったらしい。 清水寺は、「夕顔」の巻で「清水寺の方は灯かりがたくさん見えて、参詣者も多い」と描かれている。 |
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鞍馬寺と大雲寺は、「若紫の巻」の「北山のなにがし寺」のモデルといわれる。 |
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園城寺は、紫式部の父・藤原為時が出家した寺。 石山寺は、紫式部が『源氏物語』を書くために参籠した寺。 |
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石清水八幡宮は、筑紫から都へ帰った玉鬘が参拝した社。 城南宮の神苑は「源氏物語花の庭」と呼ばれている。 |
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須磨寺の源平の庭には光源氏が植えた「若木の桜跡」が・・・ 住吉大社には、明石の君が年に二度参詣していた。 |
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