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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』に多くの歌を残した紫式部。 その歌は『百人一首』や『女房三十六歌仙』にも選ばれている。 『百人一首』は、100人の和歌を一人につき一首ずつ選んで作られた秀歌撰。 「女房三十六歌仙」は、藤原公任の「三十六人撰」に模して作られもので、和歌を書して歌合とした短冊帖。 |
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」 『百人一首』に選ばれた歌。 蘆山寺は紫式部の邸跡に建てられた寺。 |
『百人一首』編纂の舞台となった嵯峨嵐山には、小倉百人一首文芸苑が設けられ、百首の歌碑が建てられている。 |
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし」 上賀茂神社を参拝した際に賀茂別雷大神の母・玉依比売命を祀る片岡社で詠んだとされる歌。 |
「三尾の海に 網引く民の てまもなく 立居につけて 都恋しも」 父の藤原為時に同行して越前へ下る途中の三尾崎で詠んだ歌。 白鬚神社は、琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから「近江の厳島」とも呼ばれている。 |
「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものとは」 越前へ向かうため塩津山(深坂峠)を越えるときに詠んだ歌。 塩津浜は、越前に下向するため打出浜から船出した紫式部が上陸した浜。 |
「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる」 越前に下向して初めて迎えた冬、初雪が降った日に都にある小塩山の松を思い出して詠んだ歌。 小塩山の麓には紫式部が氏神と崇めた大原野神社が鎮座する。 紫式部公園は、紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園。 |
「春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな」 藤原宣孝の求婚の文に対する返歌。 紫式部は、この年の秋か翌年の春に帰京し、宣孝と結婚している。 |
「ふるさとに 帰る山路の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」 「早く都へ戻りたい」という思いから詠んだ歌。 |
「おいつしま 守りの神や いますらん 波もさわがぬ わらわえの浦」 越前国から帰京するときに沖島を望んで詠んだとされる歌。 沖島には奥津嶋神社が鎮座。 |
「おいつしま・・・」の歌碑は、百々神社にも建てられている。 |
「身のうさは 心のうちに したひきて いま九重に 思ひみだるる」 藤原道長の薦めで一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えるようになったときに詠んだ歌。 |
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