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春なれど 白嶺の深雪 いや積り 解くべきほどの いつとなきかな |
「年が明けたら唐人を見にそちらへ参ります」 と言っていた藤原宣孝が、年が明けると、 「春になれば氷さえ解けるもの。 あなたの心もとけるものだと、どうにか教えてあげたい」 と言ってきたことへの返歌。 「春になりましたが、白山の雪はますます積もって解けるのはいつのことかわかりません」 (春になっても私のあなたに対する気持ちは解けません・・・) 藤原宣孝は、紫式部が帰京した後に結婚する相手。 紫式部が父・藤原為時の越前下向に同行したのは、父親ほどの年齢差のあった宣孝からの求婚があったことも理由の一つといわれる。 この歌を詠んだ頃は、宣孝のプロポーズを断っていたらしい・・・ |
藤原宣孝は、「唐人を見に・・・」と言っていたようだが、 紫式部が越前国に下向した当時、敦賀の松原客館には北宋の商人・朱仁聡が林庭幹・羌世昌(周世昌)らとともに滞在していた。 紫式部の父・藤原為時は、その交渉相手として越前国司に選ばれたともいわれる。 |
気比の松原 (敦賀市) |
気比神宮 (敦賀市) |
松原客館があった正確な場所は不明だが、気比の松原付近にあったのではないかといわれている。 気比神宮が管理していたことから気比神宮付近にあったという説もある。 |
宋人と詩を唱和した紫式部の父・藤原為時 紫式部の歌~方違えで泊まっていった男は藤原宣孝?~ 紫式部の歌~藤原宣孝の求婚を拒否する歌~ |
紫式部の歌~紫式部と藤原宣孝の喧嘩?文散らし事件!~ |
紫式部公園の紫式部像の周りには、紫式部が詠んだ3つの歌碑が建てられている。 |
越前市東千福町20 武生駅から白山行き福鉄バス 「紫式部公園口」下車 市民バス市街地循環南ルート 「紫式部公園」下車 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
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