紫式部「光る君へ」


宋人と詩を唱和した紫式部の父・藤原為時


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 『日本紀略』によると・・・

 995年(長徳元年​)9月6日、北宋の商人・朱仁聡が林庭幹・羌世昌(周世昌)らとともに若狭国に来航している。

 宋からの来客は、間もなく越前国に移され、かなり長期間滞在することとなった。

 滞在していたのは気比の松原付近にあったといわれる松原客館と考えられている。



気比の松原
リンクボタン気比の松原

(敦賀市)
気比神宮
リンクボタン気比神宮

(敦賀市)


 気比の松原付近にあったともいわれるが、気比神宮の神官が管理していたともいわれることから、気比神宮近くにあったという説もある。





~藤原為時と世昌(周世昌)~

 996年(長徳2年)、越前守に叙任されて越前国へ下向した紫式部の父・藤原為時は、宋人と詩をやりとりして懐柔に務めたのだという。

 特に羌世昌(周世昌)とは詩文の贈答をしていたらしい。

 為時に同行して越前国に下った紫式部も『紫式部集』に

 「唐人見に行かむといひける人(藤原宣孝)の・・・」

 と記していることから宋人のことは知っていたし、会っていたのかもしれない。

 ただ、為時の漢詩は・・・

 7年後に帰国した羌世昌(周世昌)は、皇帝に謁見した際に為時の詩文を呈示するが、まわりのものは「飾りすぎで意味が浅い」などと酷評したのだとか。



リンクボタン一条天皇に漢詩を奏上して越前守となった藤原為時





紫式部公園
リンクボタン紫式部公園
(越前市)

 紫式部公園紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された公園。



紫式部像
リンクボタン紫式部像
(紫式部公園)
紫式部歌碑
リンクボタン紫式部歌碑
(紫式部公園)


 紫式部公園には金色の紫式部像が置かれ、周囲には紫式部歌碑が建てられている。

 唐人に会いに行くと言っていた藤原宣孝への歌も歌碑となっている。










紫式部


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