紫式部「光る君へ」

★大河ドラマ館2月23日オープン!


紫式部の歌碑
~身のうさは…宮中に出仕した時の歌:
紫式部公園~


編集:yoritomo-japan.com








紫式部歌碑



 身のうさは
 心のうちに
 したひきて
 いま九重に
 思ひみだるる


 夫の藤原宣孝と死別したのち、藤原道長の娘で一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えるようになったときに詠んだ歌。

 「わが身の辛い思いは心の中に寄ってきて、今、宮中で心が幾重にも乱れることだ」

 「九重」には「宮中」という意味もあるらしい。

 通説によると、紫式部彰子に仕えるようになったのは1005年(寛弘2年)12月29日(寛弘3年とする説も有力。)。

 しかし、出仕後ほどなくして自宅に帰ってしまっているらしい。



リンクボタン紫式部の歌~出仕後すぐに里下がりした時の歌~

リンクボタン紫式部の歌~春の歌を献上するよう命じられて~

リンクボタン紫式部の歌~出仕を促す宮の弁のおもととの贈答歌~

リンクボタン紫式部の歌~先輩女房から陰口を言われて詠んだ歌~

リンクボタン紫式部の歌~端午の節句に薬玉を贈ってくれた人との贈答歌~




平安宮
リンクボタン平安宮
(大内裏)
一条院跡
リンクボタン一条院跡


 平安宮は、平安京の宮城。

 平安宮の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があって、藤原彰子は内裏の後宮の飛香舎を賜っていた。

 ただ・・・

 紫式部彰子に仕えるようになった年の11月、内裏は焼失していたため、一条天皇彰子東三条殿に遷った後、一条院に遷御している。



リンクボタン紫式部は「源倫子にも仕えていた」という説





紫式部歌碑
リンクボタン紫式部公園の歌碑

 紫式部公園紫式部像の周りには、紫式部が詠んだ3つの歌碑が建てられている。




紫式部の歌


紫式部の歌碑










紫式部公園
リンクボタン紫式部公園

越前市東千福町20

武生駅から白山行き福鉄バス
「紫式部公園口」下車

市民バス市街地循環南ルート
「紫式部公園」下車



紫式部の越前国下向
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