奈良・京都

紫式部 紫式部年表



平安宮朝堂院大極殿

編集:yoritomo-japan.com








大極殿跡
大極殿跡


 大極殿は、平安京の大内裏(平安宮・宮城)にあった朝堂院の正殿。

 平安京の入口は羅城門

 そこから延びる朱雀大路の北に正門の朱雀門

 朱雀門を入ると応天門をもつ朝堂院があった。

 796年(延暦15年)の造営。



大極殿


 朝堂院は即位の大礼や国家的儀式が行われた所で、大極殿には天皇の玉座の高御座が据えられていた。

 西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする官庁が建ち並んでいた。

 これらの建物は、大垣(築地)で囲まれ、その囲まれた区域を大内裏あるいは平安宮と呼んだのだという。

 1177年(安元3年)に焼失。

 その後再建はされていない。

 平安宮跡には戦国時代に豊臣秀吉の聚楽第が造営されている。


 リンクボタン安元の大火



平安宮
リンクボタン平安宮
(大内裏)

 平安宮は、平安京の宮城。





~即位の礼~

 平安時代の即位の礼は、原則として大極殿で行われた。

 ただ、冷泉天皇は病気だったため内裏の紫宸殿(平安宮)で即位し、これが紫宸殿での即位の礼の最初となる。

 大極殿は安元の大火で焼失後、再建されなかったため、室町中期のご土御門天皇までは太政官庁を使用(安徳天皇は紫宸殿で即位)。

 後柏原天皇以降は紫宸殿(京都御所)が使用され、昭和天皇まで続いた。



平安宮 内裏 紫宸殿跡
リンクボタン平安宮内裏紫宸殿跡


紫宸殿
リンクボタン紫宸殿
(京都御所)





~朝堂院十二堂~

藻壁門跡
リンクボタン昌福堂跡

 朝堂院は、十二堂が並び、着座する官司が決められていた。

 昌福堂は東第一堂で、太政大臣・左大臣・右大臣の座が設けられていた。





~宮中の庭園~

神泉苑法成橋
リンクボタン神泉苑

 神泉苑は、大内裏の南東に桓武天皇が造営した禁苑。

 弘法大師後白河法皇静御前源義経の伝説が残された雨乞いの霊地だった

 しかし、1602年(慶長7年)、徳川家康二条城を築くと、北側が大きく縮小させられるなど、現在では当時の十二分の一にも満たない規模となっている。









~清涼殿落雷事件~

 930年(延長8年)6月26日、清涼殿に落雷。

 901年(延喜元年)1月25日、藤原時平の讒言で大宰府に左遷となり、2年後の903年(延喜3年)2月25日、太宰府で死去した菅原道真の祟りと騒がれたのだという。



平安宮 内裏 清涼殿跡
リンクボタン清涼殿跡
(平安宮内裏)
北野天満宮
リンクボタン北野天満宮


 清涼殿は、天皇の日常生活の居所。

 落雷があったころの天皇は平安宮に住まいしていた。

 道真の祟りを鎮めようとした朝廷が北野天満宮を建立したことにより、天神信仰が全国に広まっていったのだという。



清涼殿
リンクボタン清涼殿
(京都御所)





飛香舎

 飛香舎(ひぎょうしゃ)は、清涼殿の北西に隣り合って建てられた建物で、平安時代には中宮や有力な女御の居所となった。

 一条天皇中宮・藤原彰子藤原道長の長女)

 三条天皇中宮・藤原妍子(道長の次女)

 後一条天皇中宮・藤原威子(道長の娘)

 後冷泉天皇中宮・章子内親王(威子の娘)

 などが住まいしている。

 飛香舎は、庭に藤が植えられていたことから「藤壺」とも呼ばれ、紫式部『源氏物語』では、主人公の光源氏の初恋の人・藤壺中宮が居所としている。



平安宮内裏梅壺藤壺跡
リンクボタン凝花舎・飛香舎跡

 飛香舎は、内裏の後宮七殿五舎の一つ。





~藤原道長と祇園御霊会~

 999年(長保元年)の祇園御霊会で、雑芸者の無骨が大嘗祭で使われる標山に似せた作山を製作し、八坂社の社頭で引き回した。

 左大臣・藤原道長は禁止令を出したが、祇園天神の怒りに遭い、平安宮の内裏が焼失、一条天皇は母后・藤原詮子の御在所(一条院)に遷御したのだという。

 無骨の作山が現在の祇園祭の山鉾の起源なのだとか。


リンクボタン無骨の山鉾を禁止した藤原道長と祇園天神の怒り



一条院跡
リンクボタン一条院跡

 一条院は、内裏焼失後に一条天皇が遷御した所。

 一条天皇の里内裏となり、藤原道長や中宮彰子の宿泊所もあったのだという。



京都:八坂神社
リンクボタン八坂神社
山鉾巡行
リンクボタン祇園祭


 祇園祭は、7月1日から1ヵ月にわたって行われる八坂神社の祭礼。 





~「別れの御櫛」と『源氏物語』~

 伊勢神宮に奉仕する斎王(斎宮)は、伊勢に赴く際、大極殿で天皇から「別れの御櫛」を挿してもらったのだという。

 紫式部『源氏物語』~賢木の巻~には、その様子が描かれている。

 斎王は、宮城内に設けられた初斎院で一定期間心身を清め、その後、宮城外の清らかな地として選ばれた「野宮」で心身を清めてから、伊勢に赴いたのだという。



野宮神社
リンクボタン野宮神社

 大極殿の西方にある野宮神社は、野宮の地に鎮座する神社で、「賢木の巻」にも描かれている。



斎宮邸跡
リンクボタン斎宮邸跡

 斎宮邸は、斎王(斎宮)の居所で、西京高校がその跡地の一つとされている。



紫式部


源氏物語





~「別れの御櫛」と三条天皇~

 1014年(長和3年)9月20日、三条天皇の皇后宮・藤原娍子が産んだ当子内親王が斎王(斎宮)として伊勢へ赴くことに。

 「別れの御櫛」に臨んだ三条天皇は、互いに振り返ってはならない決まりにもかかわらず、別れがたさから思わず振り返ってしまったのだとか。










京都御所
リンクボタン京都御所

 現在の京都御所は、里内裏の一つだった土御門東洞院殿の地。

 南北朝期に北朝の内裏となり、明治天皇の東京行幸まで続いた。



平安神宮
リンクボタン平安神宮

 平安神宮は、1895年(明治28年)に、平安遷都1100年を記念して朝堂院を8分の5の規模で復元したもの。

 拝殿は大極殿を再現。



羅城門
リンクボタン羅城門
朱雀門
リンクボタン朱雀門跡

 羅城門は、朱雀大路の南端に建てられた平安京の表玄関で、東西には王城鎮護の東寺西寺が置かれた。

 朱雀門は、大内裏(平安宮)の南に建てられた宮城門(正門)。



リンクボタン平安京の鬼門と守護・鎮護の神仏

リンクボタン安元の大火





平安宮
平安宮
(説明板より)

京都市上京区小山町 内野児童公園



洛中エリアの寺社・史跡
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。








奈良・京都


葵祭

祇園祭

時代祭


中世歴史めぐり





紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 後白河法皇
後鳥羽上皇 二代執権北条義時