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清涼殿(せいりょうでん)は、平安中期以降、天皇の住まいとして使用されてきた御殿。 1590年(天正18年)、御常御殿(おつねごてん)に住まいが移ってからは、儀式の際に使用されたのだという。 現在の建物は、1855年(安政2年)に平安時代の建築様式で造営。 明治・大正・昭和三代の天皇の即位の礼は、この建物で執り行われている。 |
漢竹 |
呉竹 |
仁和寺の御影堂は、慶長年間に造営された清涼殿の用材で再建されたもの。 |
930年(延長8年)6月26日、平安宮の清涼殿に落雷。 901年(延喜元年)1月25日、藤原時平の讒言で大宰府に左遷となり、2年後の903年(延喜3年)2月25日、太宰府で死去した菅原道真の祟りと騒がれたのだという。 |
![]() (大内裏) |
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落雷があったころの天皇は平安宮の内裏に住まいしていた。 |
![]() (朝堂院正殿) |
![]() (豊楽院正殿) |
平安宮の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。 |
道真の祟りを鎮めようとした朝廷が建立したのが、道真を祭神とする北野天満宮。 |
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紫宸殿は、即位の礼や大嘗祭などが行われた殿舎。 清涼殿は、天皇の居所。 |
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建礼門と建春門は平安宮内裏の外郭門。 |
紫式部の『源氏物語』の主人公は光源氏。 父は桐壺帝。 桐壺帝の第一皇子(のちの朱雀帝)は紫宸殿で、第二皇子(光源氏)は清涼殿で元服式を行った。 光源氏が朧月夜と出逢った桜の宴は紫宸殿で行われている。 弘徽殿には、朱雀帝の母・弘徽殿女御が居住。 淑景舎には、光源氏の母・桐壺更衣が居住。 飛香舎には、桐壺更衣亡き後、桐壺帝の後妻となった藤壺中宮が住んだ。 |
天皇の居所である清涼殿に対し、紫宸殿は公的な意味合いが強かった殿舎。 |
京都府京都市上京区京都御苑3 地下鉄烏丸線「今出川駅」より徒歩5分 |
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