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北条義時2022年の大河は「鎌倉殿の13人」  合戦承久の乱  後鳥羽天皇後鳥羽上皇  武士北条義時

京都:御室仁和寺

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仁和寺


 仁和寺は、886年(仁和2年)、光孝天皇が「西山御願寺」の建立を発願し着工されたことに始まる。

 光孝天皇は翌年崩御するが、その遺志を継いだ宇多天皇が、888年(仁和4年)に完成させ、元号にちなんで仁和寺とした。

 真言宗御室派の総本山。本尊は阿弥陀如来。

 宇多天皇は退位して法皇となった後、仁和寺を住坊とし、以後、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡(住職)となったことから御室御所と呼ばれた。

 応仁の乱の兵火によって焼失するが、1635年(寛永11年)、仁和寺第二十一世の覚深法親王が上洛していた徳川幕府3代将軍家光に再興の申し入れをして承諾され、これに御所の建て替えも重なり、御所から紫宸殿、清涼殿、常御殿など建造物が下賜され、1646年(正保3年)に再建が完了した。






仁和寺二王門
リンクボタン二王門
(国重文)
仁和寺御殿
リンクボタン御殿(本坊)
(白書院・宸殿など)

仁和寺中門
リンクボタン中門
(国重文)
仁和寺金堂
リンクボタン金堂
(国宝)

仁和寺五重塔
リンクボタン五重塔
(国重文)
仁和寺九所明神
リンクボタン九所明神
(国重文)

仁和寺経蔵
リンクボタン経蔵
(国重文)
仁和寺鐘楼
リンクボタン鐘楼
(国重文)

仁和寺水掛不動明王
リンクボタン水掛不動明王
仁和寺御影堂
リンクボタン御影堂
(国重文)

仁和寺観音堂
リンクボタン観音堂
(国重文)







〜源頼朝の落胤・貞暁〜

 1192年(建久3年)、源頼朝は落胤を仁和寺の法眼隆暁に弟子入りさせている。

 のちの貞暁

 貞暁は、妾の大進局との間に授かった子で、北条政子の勘気に遭い、人目を憚るように育てられていたという。のちに高野山へ登り、そこで最期を遂げている。



「仁和寺にある法師」の伝説(『徒然草』)

 仁和寺のある法師が、かねてからの念願だった石清水八幡宮に参詣したときのこと。

 法師は、麓の極楽寺や高良神社に参詣して、石清水八幡宮とはこれだけのものかと思って帰ってしまった。

 帰った後、仲間の僧に「念願の石清水八幡宮に詣でることができた。前々から聞いていたのにも増して尊いものだった。

 ただ、参詣者が山へ登っていったのは何事かあったのだろうか。私も見たいと思ったが神に参拝することが目的であったので、山までは登らなかった」と語ったのだという。


石清水八幡宮
リンクボタン石清水八幡宮




〜晩年を仁和寺で暮らした祇園女御〜

 白河法皇の寵妃で、平清盛の母ともいわれる祇園女御は、1111年(天永2年)に仁和寺内に威徳寺を建立。

 晩年は威徳寺の住坊に住んで、法皇の冥福を祈ったのだと伝えられている。


祇園女御の供養塔
リンクボタン祇園女御の供養塔




〜還俗した嘉彰親王〜

 1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いで征討大将軍に任命されたのが、仁和寺第三十世門跡だった純仁親王。

 前年に還俗を命じられ、仁和寺宮嘉彰親王と名乗り、鳥羽伏見の戦いが始まると東寺の本営に入っている。


小松宮彰仁親王銅像
リンクボタン小松宮彰仁親王銅像
(東京:上野恩賜公園)

 のちに仁和寺宮嘉彰親王は、小松宮彰仁親王に改称。



御室仁和寺駅
御室仁和寺駅

 御室仁和寺駅は京福電気鉄道北野線の駅。

 かつては「御室駅」といったが、2007年(平成19年)に御室仁和寺に改称した。

 駅前からは二王門が見える。 






歴史めぐり源頼朝



仁和寺
仁和寺

京都市右京区御室大内33

・嵐電北野線「御室仁和寺駅」下車 徒歩約2分
・京都駅からJRバス:高尾・京北線「仁和寺前」下車すぐ



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