紫式部「光る君へ」


円融天皇


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 円融天皇(えんゆうてんのう)は、村上天皇の第五皇子。

 母は右大臣藤原師輔の娘・安子。

 959年(天徳3年)4月12日誕生。

 諱は守平(もりひら)。

 母の安子が早くに亡くなったため、安子の妹登子に養育されたのだという。

 道綱母の『蜻蛉日記』には「東宮の御親」と記されている。



村上天皇
62代

円融天皇
64代
 
冷泉天皇
63代

一条天皇
66代
 
三条天皇
67代
 
花山天皇
65代





~ 即 位 ~

 967年(康保4年)、村上天皇が崩御。

 同母兄の冷泉天皇紫宸殿で即位。

 関白に太政大臣藤原実頼、左大臣に源高明、右大臣には藤原師尹が就任した。

 立太子をめぐって異母兄の第四皇子・為平親王を推す源高明と守平親王(円融天皇)を推す藤原師尹が対立するが・・・

 同年、兄の為平親王を越えて守平親王が皇位継承順位第1位となる。

 これには村上天皇の遺命があったとする説がある。

 しかし、対立は収まらず、969年(安和2年)の安和の変で源高明が失脚。

 藤原師尹が左大臣となり、右大臣に藤原在衡が昇任された。

 この年、冷泉天皇は譲位し円融天皇が誕生。

 まだ11歳だったため、太政大臣藤原実頼が摂政に就任している。



源高明の娘は為平親王の妻。

藤原道長室となった明子も源高明の娘。

安和の変と皇位継承問題は無関係ではないが、切り離して考えるべきという説がある。



平安宮 内裏 紫宸殿跡
リンクボタン紫宸殿跡
(平安宮)
紫宸殿
リンクボタン紫宸殿
(京都御所)



平安宮内裏昭陽舎跡
リンクボタン平安宮内裏昭陽舎跡

 昭陽舎は、東宮時代の円融天皇が居住したと伝えられる。





~中継ぎの天皇~

 冷泉天皇は即位前から病気がちであったため、村上天皇は皇太弟を立てるよう遺命していたのだという。

 これは、冷泉天皇の皇子が成長するまでの一代主(中継ぎ)の天皇を立てようという考え。

 藤原氏はその必要性を認識していたため、伊尹や兼家は娘を円融天皇に入内させることは考えていなかったのだという。



藤原師輔

安子

円融天皇

伊尹

兼家


伊尹は冷泉天皇に娘の懐子を入内させ師貞親王が生まれている(のちの花山天皇)。

兼家は冷泉天皇に娘の超子を入内させ居貞親王が生まれている(のちの三条天皇)。









~ 譲 位 ~

 970年(天禄元年)、摂政の藤原実頼が薨去すると、藤原伊尹が摂政に。

 972年(天禄3年)、円融天皇は元服するが、同年、伊尹が薨去したことで、伊尹の弟兼通と兼家の間で関白をめぐる争いが起こる。

 円融天皇は生母・安子の「関白は兄弟の順によるべし」との遺訓に従って兼通を関白に任じ、翌年、兼通の娘媓子が入内して中宮となった。

 977年(貞元2年)、重病となった兼通は、従兄の頼忠に関白を譲り、兼家を治部卿に左遷し、程なくして薨去。

 兼家は不遇の時を過ごすこととなるが、979年(天元2年)、頼忠の勧めもあって右大臣に。

 この年、中宮媓子が崩御している(子女には恵まれなかった。)。

 翌年、兼家の次女詮子が入内し、同年、懐仁親王(のちの一条天皇)を産んだ。

 しかし、982年(天元5年)、円融天皇は頼忠の次女・遵子を中宮としたため、腹を立てた兼家は詮子と懐仁親王を東三条殿に連れ帰り、出仕をやめてしまう。

 円融天皇と兼家の意地の張り合いはなかなか収まらなかったが・・・

 984年(永観2年)、譲歩した円融天皇は、師貞親王(花山天皇)に譲位し、懐仁親王を東宮(皇太子)とすることにする。



リンクボタン藤原兼通と藤原兼家~兄兼通に左遷された弟兼家~



円融天皇

花山天皇

冷泉天皇の第一皇子
母は藤原伊尹の娘懐子

一条天皇

円融天皇の第一皇子
母は藤原兼家の娘詮子



リンクボタン両統迭立の皇位継承~冷泉系と円融系~




東三条院址
リンクボタン東三条殿

 東三条殿は、摂関家の邸宅。

 藤原詮子は、東三条殿で懐仁親王(一条天皇)を産み、一条天皇の即位後は東三条院と呼ばれた。



堀河院跡
リンクボタン堀河院跡

 堀河院(堀河殿)は、兼家の兄・兼通が所有した邸宅。

 円融天皇は、内裏が焼失した際、堀河殿を里内裏とした。

 遠ざけていた兼家の邸宅・東三条殿を里内裏とはしなかった・・・





~晩年・崩御~

 花山天皇に譲位した翌985年(寛和元年)、出家。

 986年(寛和2年)3月、居住していた円融寺から仁和寺観音院に遷御した後、東大寺に御幸して受戒し、円融寺に還御している。

 法号は金剛法。

 同年、寛和の変花山天皇一条天皇に譲位。

 兼家がまだ7歳の一条天皇の摂政となるが、円融法皇と意見が対立することもあったらしい。

 991年(正暦2年)2月12日、祈願寺の円融寺で崩御(33歳)。




円融天皇 後村上陵
リンクボタン円融天皇 後村上陵

 遺体は円融寺の北原で火葬され、父・村上天皇陵の傍らに遺骨が葬られた。

 円融寺は、円融天皇の勅願寺として創建され、花山天皇に譲位した円融法皇が居住した寺。

 仁和寺の一院で、仁和寺の周辺には一条天皇の円教寺、後朱雀天皇の発願で後冷泉天皇のときに完成した円乗寺、後三条天皇の円宗寺があった。



龍安寺石庭
リンクボタン龍安寺

 円融寺は、円融天皇の崩御後に衰退し、平安時代末、その跡地は藤原実能の山荘となり、室町時代には細川勝元が龍安寺を創建している。



リンクボタン競馬・騎射・打毬~花山天皇と円融上皇と王権誇示の馬術競技~

リンクボタン円融院の子日の御遊と円融院葬送の歌~藤原朝光・藤原行成・藤原実方~



打毬










大雲寺
リンクボタン大雲寺

 大雲寺は、971年(天禄2年)、円融天皇が比叡山に行幸した際、紫雲がたなびいた聖地に創建された寺。

 行基作という十一面観音は、大和国長谷寺十一面観音と同じ霊木で彫られているのだという。

 往時には四十九の堂塔伽藍が建ち並び、紫式部『源氏物語』や『太平記』にも描かれた。




石清水八幡宮
リンクボタン石清水八幡宮

 石清水八幡宮は平安京裏鬼門の守護神。

 979年(天元2年)、円融天皇の行幸以後、多くの天皇の行幸があった。

 円融天皇の時代には、勅祭の石清水祭で舞楽を奏することなどが定められている。




石山寺
リンクボタン石山寺

 石山寺は聖武天皇の勅願で創建された観音菩薩の聖地。

 平安時代には石山詣が盛んに行われ、986年(寛和2年)、石山寺を参詣した円融法皇は、石山から船で打出浜に渡り、崇福寺を参詣したのだという。

 紫式部『源氏物語』を書き始めた寺。



リンクボタン清水詣・石山詣・初瀬詣~平安貴族が信仰した清水寺・石山寺・長谷寺~




遍照寺
リンクボタン遍照寺

 『源氏物語』ゆかりの寺として知られる遍照寺は、989年(永祚元年)、円融天皇(花山天皇とも)が寛朝に命じて創建。

 寛朝は円融天皇が出家したときの戒師。



春日大社
リンクボタン春日大社

 春日大社は藤原氏の氏神。

 989年(永祚元年)、藤原兼家一条天皇の春日行幸を行った。

 円融法皇は反対したが、詮子の強い意向で実現したのだという。










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