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里内裏は、内裏(大内裏)の焼失にともなう仮の皇居。 |
堀河院(堀河殿)は、藤原基経の邸宅が始まりで、円融天皇・白河天皇・堀河天皇・鳥羽天皇の里内裏となった邸宅。 円融天皇が堀河院を使用したことが、里内裏の初めての例なのだとか。 |
一条院は、藤原詮子に献上された邸宅。 999年(長保元年)、一条天皇が使用。 一条天皇の時代には内裏が度々焼失し、一条天皇は東三条院や枇杷殿に遷御したこともあった。 一条天皇の中宮・藤原彰子に仕えた紫式部は一条院に出仕。 一条天皇は一条院の中殿(清涼殿)で崩御している。 |
東三条院 |
枇杷殿跡 |
東三条院(東三条殿)は、堀河院の東にあった藤原兼家の邸宅。 兼家を遠ざけ、兄の兼通を重用していた円融天皇は、兼通亡き後も兼家への依存を拒み、堀河院を里内裏としたらしい。 枇杷殿は、藤原道長所有の邸宅。 藤原彰子は、一条天皇が崩御した後、枇杷殿に移り、1015年(長和4年)の内裏焼失で三条天皇が遷御するまで使用している。 |
藤原兼通と藤原兼家~兄兼通に左遷された弟兼家~ |
土御門第跡 |
閑院跡 |
土御門第(土御門殿)は藤原道長の邸宅。 藤原彰子は、この邸宅で後一条天皇と後朱雀天皇を出産した。 閑院は、平安初期に藤原冬嗣の邸宅として始まり、平安後期に高倉天皇の里内裏となった。 後鳥羽天皇は閑院で皇位を継承している。 |
平安宮 (大内裏) |
内裏跡 |
平安宮は、平安京の宮城。 内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。 平安時代の内裏(御所)は、現在の京都御所の西方にあった。 |
平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。 京都御所は、もとは里内裏の土御門東洞院殿。 鎌倉時代末、光厳天皇が土御門東洞院殿で即位して以降、明治天皇が東京に移るまでの約500年間、天皇の御所として使用された。 |
紫宸殿 |
清涼殿 |
紫宸殿は内裏の正殿で、天皇の即位・元服・立太子・節会などの儀式が執り行われた。 清涼殿は、天皇の住まいとして使用されてきた御殿。 |
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