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枇杷殿(びわどの)は、藤原氏の邸宅跡。 1002年(長保4年)以降は藤原道長が所有し、次女で三条天皇の皇后となった妍子の里内裏として整備された。 1009年(寛弘6年)、一条天皇の里内裏・一条院が焼失した際には、 一条天皇が中宮・彰子(道長の長女)らとともに遷御。 そのため、紫式部も枇杷殿に出仕していたのだという。 清少納言も出仕したとされるが、この頃には仕えていた藤原定子が崩御し、自身も宮中を去っていたようなので、あり得ないのかもしれない・・・ |
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大極殿は、平安京の大内裏(平安宮・宮城)にあった朝堂院の正殿。 999年(長保元年)6月14日、内裏が焼失すると、一条天皇は一条院に遷御。 以後、一条院は一条天皇の里内裏として使用された。 長保元年の内裏焼失には、道長と無骨法師の伝説が残されている。 |
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枇杷殿の東には、藤原道長の土御門第(土御門殿)があった。 |
土御門第(土御門殿)の東には、彰子に仕えた紫式部の邸宅もあった。 蘆山寺はその邸宅跡とされている。 |
枇杷殿跡は、京都御所の南、皇宮警察本部京都護衛署前の梅林辺り。 |
京都市上京区京都御苑3 地下鉄烏丸線「今出川駅」より徒歩5分 |
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