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土御門殿(土御門第)は、源雅信が建設したという邸宅。 雅信の死後、娘の倫子と結婚した藤原道長が継承。 道長の姉で一条天皇の母・詮子の御所ともなり、道長の娘で一条天皇の中宮・彰子は後一条天皇と後朱雀天皇を出産。 彰子の妹・嬉子は後冷泉天皇を出産。 道長の妹で居貞親王(のちの三条天皇)に入内した綏子も宮中を去った後、ここで暮らしている。 上東門第(じょうとうもんてい)・京極殿(きょうごくどの)とも呼ばれ、道長の栄華を象徴する邸宅だった。 1016年(長和5年)に焼失するが、諸国の受領たちの奉仕によって再建され、源頼光が家具・調度のすべてを献上したのだという。 道長の死後は、嫡男の藤原頼通、孫の藤原師実が継承。 度重なる火災で焼失したが、その度に再建された。 しかし、鎌倉時代に入ると荒廃。 吉田兼好の『徒然草』には、道長が土御門殿の東に建立した法成寺とともに廃墟となっている様子が記されている。 |
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赤染衛門は女流歌人。 源雅信邸に出仕して藤原道長の正室・源倫子や娘の彰子に仕え、夫大江匡衡との仲が良かったことから「匡衡衛門」とも呼ばれた。 紫式部・和泉式部の同僚で、清少納言とも親交があった。 源雅信の正室・藤原穆子が産んだ寂源とも交流。 大原の勝林院を再興した寂源のもとには道長もたびたび尋ねていたのだという。 |
東三条院(東三条殿)は、摂関家の邸宅。 ここで、道長の長姉・藤原超子は三条天皇を、次姉の詮子は一条天皇を産んでいる。 道長の娘で三条天皇の中宮となった藤原妍子の御所、一条天皇の中宮・彰子が産んだ後朱雀天皇の里内裏としても使用された。 |
法成寺は、藤原道長が土御門殿の東側に創建した寺院。 晩年の道長は、法成寺に住んで、阿弥陀堂で亡くなったのだという。 |
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枇杷殿は、土御門殿の西側にあった御殿。 一条天皇の御所となり、紫式部はここに出仕していたことがある。 |
土御門殿の東側には、紫式部の邸宅もあった。 蘆山寺はその邸宅跡とされている。 |
『源氏物語』の主人公・光源氏が建設した六条院は、土御門殿がモデルともいわれる。 |
土御門殿は、京都御所の東側、仙洞御所の北側一帯にあった。 |
京都市上京区京都御苑3 地下鉄烏丸線「今出川駅」より徒歩5分 |
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