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なべて世の うきになかるる あやめ草 今日までかかる ねはいかが見る |
「菖蒲草の根が今日まで柱に掛けられたままですが、世の中の憂さに今日まで泣き続けているわたしをどう思いますか」 この歌は、土御門邸で法華三十講が行われた1008年(寛弘5年)5月6日の朝に小少将の君が詠んだもの。 明るくなったので局に引き取った小少将の君は、菖蒲の根を紫式部に贈ってきたのだという。 5月5日の端午の節句(菖蒲の節句)には、菖蒲の長い根を贈り合う風習があったのだとか。 『源氏物語』~蛍の巻~では・・・ 兵部卿の宮から玉鬘に贈られた歌には、記録になるほどの長さの菖蒲の根が結びつけられていた。 「今日さへや 引く人もなき 水隠れに 生ふるあやめの ねのみ泣かれん」 |
なにごとと あやめはわかで 今日もなほ たもとにあまる ねこそ絶えせね |
「何のことだかわけもわからず、今日もあやめの根が袂に覆いきれないように、わたしも泣き続けています」 小少将の君に紫式部が返した歌。 |
紫式部の歌~妙なりや・・・5月5日の法華経第5巻~ 紫式部の歌~紫式部と大納言の君の篝火の歌~ |
藤原彰子の懐妊と藤原道長の法華三十講と紫式部 |
打毬(だきゅう)は、平安時代の宮中で行われていた馬術競技。 『源氏物語』~蛍の巻~で催された「手結」は「打毬」のことという説がある。 |
端午節会(端午の節句)は、平安時代の宮中で盛んに催され、清少納言は『枕草子』に「節供は5月に及ぶものはない」と記し、紫式部は『源氏物語』に描いている。 |
土御門殿(土御門邸)は、藤原道長の邸宅。 法華三十講は、紫式部が仕えていた藤原彰子の安産祈願のために行われたもの。 この歌が詠まれた年、彰子は土御門殿で一条天皇の第二皇子・敦成親王(後一条天皇)を出産している。 |
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