紫式部「光る君へ」

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紫きぶ七橋
~御五十日の祝いの宵、
若宮に餅を供する道長~
(鈴虫橋)


編集:yoritomo-japan.com








紫きぶ七橋・鈴虫橋
御五十日の祝いの宵、若宮に餅を供する道長
 『紫式部日記絵巻』



 1008年(寛弘5年)11月1日、藤原道長の邸宅・土御門殿では、一条天皇の第二皇子・敦成親王(のちの後一条天皇)の「五十日の祝い」が行われた。


 禁色の着用を許された少輔の乳母が親王を抱き、御帳台の内で裳唐衣を着た北の方・源倫子が抱きとった。

 中宮・藤原彰子は、葡萄染めの五重襲の袿に蘇芳の御小袿を着ている。

 そして、道長が餅(もちい)を供した。





~禁色~

 「禁色」は天皇・皇族などの袍(上着)の色で、臣下の者が用いることは禁じられていた。

 禁色の着用を許された少輔の乳母は、紫式部と親しかった藤原豊子(宰相の君)の娘。

 母娘で後一条天皇の乳母を務めた。



リンクボタン平安貴族の位階と袍(上着)の色

(参考)
リンクボタン道長から賀の歌を求められる紫式部





~五十日の祝い~

 「五十日の祝い」は「松の餅」とも呼ばれ、生誕50日目の夜に行われた儀式。

 餅を磨粉木でつぶし、重湯や煎汁などを混ぜて新生児に含ませるもので、父または外祖父がその役に当たっていたのだという。

 道長は、敦成親王の外祖父。





京都御苑:土御門第跡
リンクボタン土御門殿址


 1008年(寛弘5年)9月11日、一条天皇の中宮・藤原彰子土御門殿で敦成親王(後一条天皇)を出産。

 紫式部は、寝殿と東の対の屋を結ぶ渡殿の東側の戸口近くに部屋を与えられていたらしい。

 11月17日、敦成親王(後一条天皇)は、母の彰子とともに内裏(一条院)に遷っている。



リンクボタン藤原障子の皇子出産と紫式部と源氏物語~『紫式部日記』~





紫きぶ七橋



紫きぶ七橋
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紫きぶ七橋
リンクボタン紫きぶ七橋

越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋のレリーフ。


紫式部公園
リンクボタン紫式部公園

越前市東千福町20

武生駅から白山行き福鉄バス
「紫式部公園口」下車

市民バス市街地循環南ルート
「紫式部公園」下車



紫式部の越前国下向
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