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後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)は、後朱雀天皇の第一皇子。 母は藤原道長の六女・藤原嬉子。 1025年(万寿2年)8月3日、道長の邸宅・土御門殿で誕生。 ただ、母の嬉子は2日後の8月5日に薨去している。 諱は親仁(ちかひと)。 紫式部の娘・藤原賢子(大弐三位)が乳母を務めている。 |
一条天皇 |
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1036年(長元9年)、後一条天皇が崩御したことを受けて父の後朱雀天皇が即位。 親仁親王は皇太子に立てられた。 1045年(寛徳2年)、後朱雀天皇から譲位されて即位。 1068年(治暦4年)崩御(44歳)。 妃に章子内親王(後一条天皇の皇女・藤原威子の娘)、寛子(藤原頼通の娘)、歓子(藤原教通の娘)がいたが子には恵まれなかった。 後冷泉天皇の崩御後に即位したのは、藤原氏を外戚としない後三条天皇。 東三条殿で病に倒れた後朱雀天皇は、尊仁親王(後三条天皇)を後冷泉天皇の皇太子とする遺詔を発していたのだという。 これを機に摂関の権力は弱体化の一途をたどることとなる。 |
土御門殿は、藤原道長の邸宅。 藤原嬉子は、ここで後冷泉天皇を出産。 姉の藤原彰子は、後一条天皇と後冷泉天皇の父後朱雀天皇を出産している。 |
若宮八幡宮は、後冷泉天皇の勅願により源頼義が左女牛(さめがい)西洞院の自邸(源氏堀川館)内に石清水八幡宮を勧請したことに始まる。 頼義は河内源氏二代棟梁。 |
「御旗」(みはた)は、河内源氏二代棟梁の源頼義が1056年(天喜4年)に後冷泉天皇より下賜されたものと伝えられる日の丸の旗。 頼義の三男で甲斐武田氏の祖新羅三郎義光から武田家に代々伝わったものといわれている。 「御旗」は、山梨県甲州市の雲峰寺に所蔵されている。 |
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東北院は、後冷泉天皇の伯母であり祖母でもある藤原彰子の発願で法成寺内に建てられた常行三昧堂を始まりとする。 後冷泉天皇も度々行幸している。 |
平等院は、源融が営んだ別荘「宇治殿」に始まる寺院。 のちに宇治殿は、融とともに光源氏のモデルとされる藤原道長が所有。 後冷泉天皇の在位中の1052年(永承7年)に藤原頼通が寺とした。 後冷泉天皇も行幸したのだという。 |
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