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壺井八幡宮は、前九年の役に勝利した源頼義が、1064年(康平7年)5月15日に社殿を造営し、石清水八幡宮を勧請したことに始まる。 頼義は、河内源氏の祖頼信の子。 前九年の役に勝利して河内国に凱旋した頼義は、それまで香呂峰(香炉峰)と呼ばれた地を壺井に改め、壺井八幡宮を河内源氏の氏神とした。 鎌倉の鶴岡八幡宮も頼義の創建。 1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉を本拠とすると、鶴岡八幡宮が河内源氏の総氏神となるが、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟として、また、義家以降河内国を本拠とした石川源氏の氏神として信仰された。 |
祭神 | 誉田別尊(応神天皇) 仲哀天皇 神功皇后 |
※ | 現在の社殿は、1701年(元禄14年)、徳川綱吉の命を受けた柳沢吉保が再建したもの。 |
河内源氏は、源基経から始まる清和源氏の一流。 清和源氏二代目で多田源氏の祖・源満仲の子頼信が河内国を本拠としたことに始まる。 武勇に秀でた頼信は、藤原道長に仕え「道長四天王」の一人に数えられている。 頼信、頼義、義家と三代にわたって河内国を本拠としていたが、義家以降、河内源氏の本流は河内国を離れたため、義家の六男義時の一族が河内国を本拠とした。 |
壺井権現社 |
壺井水 |
壺井権現社は源氏三代(頼信・頼義・義家)を祀る社。 壺井水は、香呂峰(香炉峰)から壺井に改められたいわれの井戸。 |
『枕草子』〜雪のいと高う降りたるを・香炉峰雪簾撥看〜 |
1036年(長元9年)、源頼義は平直方の娘を妻とし、鎌倉の大蔵亭を譲り渡された。 これにより、鎌倉は河内源氏の東国支配の拠点となった。 直方の娘は、八幡太郎義家・賀茂次郎義綱・新羅三郎義光を産んでいる。 |
鶴岡八幡宮 |
甘縄神明神社 |
鶴岡八幡宮は、頼義が鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請(由比若宮)したことにはじまる。 鎌倉最古の甘縄神明神社は、頼義・義家ゆかりの神社。 |
鎌倉と源氏:源氏ゆかりの地を本拠とした頼朝 |
「吹く風を なこその関と思へども 道も狭に散る 山桜かな」 |
通法寺跡 (源氏三代の墓) |
誉田八幡宮 (源頼朝ゆかりの社) |
大阪府羽曳野市壺井605−2 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」下車 徒歩15分 |
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