中世歴史めぐり

源氏三代の墓
〜羽曳野市:通法寺跡〜


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 河内国の壺井(現在の羽曳野市)は、源頼信、源頼義源義家の三代が本拠とした地であることから「河内源氏発祥の地」と呼ばれている。
 
 頼義が河内源氏の菩提寺として建立した通法寺跡には、源氏三代の墓が建てられている。


源頼信墓
源頼信墓

 源頼信は、河内源氏の祖。

 清和源氏二代目の源満仲の子。

  藤原道兼や道長に仕え、1028年(長元元年)に平忠常の乱を鎮圧したことで知られる。

 乱後、坂東武士たちと主従関係を結び、後の東国支配の礎を築く。

 古市郡壺井里を本拠地とし、子の頼義とともに観音堂を創建し氏寺とした(通法寺)。

 1048年(永承3年)没(81歳)。


源頼義墓
源頼義墓

 源頼義は、頼信の嫡男。

 1028年(長元元年)の平忠常の乱で活躍し、平直方から鎌倉の地を寄進され東国支配の拠点とした。

 1051年(永承5年)から始まった前九年の役では、石清水八幡宮に祈願して戦功をあげることができたことから、凱旋後、石清水八幡宮を勧請して壺井八幡宮を創建。

 1075年(承保2年)7月13日没(83歳)。

 遺言により通法寺の本堂下に葬られた。


源義家墓
源義家墓

 源義家は、頼義の嫡男。

 前九年の役を父頼義とともに平定。

 1063年(永保3年)から始まった後三年の役を鎮圧し、武神と呼ばれる。

 1098年(永徳2年)には院昇殿を許されたが、1101年(康和3年)、次男の義親が反乱を起こし、さらに1106年(嘉承元年)、別の子の義国が事件を起こして中央官界での地位が危うくなる中、同年7月15日に没した(68歳)。







通法寺とは?

通法寺山門

 通法寺は、源頼義が建立した河内源氏の菩提寺。

 伝説によると、1043年(長久4年)、猟に出かけた頼義は、仁海谷で千手観音の霊像を得たのだという。

 その像を安置するために観音堂を建立したのが通法寺の始まりだという。

 南北朝時代には荒廃し、江戸時代に徳川綱吉が柳沢吉保に命じて再興されたが、明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈によって山門と鐘楼を残すのみとなった。

通法寺鐘楼



大僧正隆光の墓
大僧正隆光の墓

 隆光は、徳川五代将軍綱吉の学僧。

 「生類憐れみの令」を公布させた僧として知られ、綱吉死後は左遷され通法寺の住職を勤めていたのだという。





壺井八幡宮
リンクボタン壺井八幡宮
(河内源氏の氏神)
誉田八幡宮
リンクボタン誉田八幡宮
(源頼朝ゆかりの社)



歴史めぐり源頼朝



源氏館跡碑
源氏館跡碑
(通法寺跡)


源氏三代の墓

大阪府羽曳野市通法寺

近鉄南大阪線「上ノ太子駅」下車徒歩15分


源頼朝をめぐる大阪



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