鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉にゆかりのあった源氏
源頼義 源義家 源義光 源義朝

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源頼義(よりよし)

 河内源氏の祖源頼信の嫡子。

 1030年(長元3年)、父頼信とともに平忠常の乱を平定。

 このとき平直方の娘を妻とし、直方の鎌倉の屋敷を譲り受けた(参考:大倉幕府)。

 以後、鎌倉を東国支配の拠点とする。

 1051年(永承6年)からはじまった前九年の役では、相模守として、陸奥の安倍頼時・貞任らを征伐した。

 前九年の役後、源氏の守り神である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請(現在の由比若宮(元八幡))。

 長谷の甘縄神明神社で祈願し、息子の義家を授かったと伝えられる。


 北条時政は平直方の子孫と称している。


石清水八幡宮
リンクボタン石清水八幡宮
(八幡市)
元八幡
リンクボタン由比若宮
(鎌倉市)

鎌倉・甘縄神明神社
リンクボタン甘縄神明神社
(鎌倉市)
鶴嶺八幡宮
リンクボタン鶴嶺八幡宮
(茅ヶ崎市)

壺井八幡宮
リンクボタン壺井八幡宮
(羽曳野市)
源頼義の墓
リンクボタン源頼義の墓
(羽曳野市)


源義家(よしいえ)

 源頼義の子。

 石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」と呼ばれ、父とともに前九年の役、後三年の役で活躍した。

 義家は、由比若宮(元八幡)や甘縄神明神社を修復し、源氏と鎌倉との結び付きをより強いものとした。

 鎌倉の中心部にある源氏山の名は、義家が後三年の役の必勝を祈願して、この山に「源氏の白旗」を立てたことよるという。


石清水八幡宮
リンクボタン石清水八幡宮
(八幡市)
元八幡
リンクボタン由比若宮
(鎌倉市)

鎌倉・甘縄神明神社
リンクボタン甘縄神明神社
(鎌倉市)
鶴嶺八幡宮
リンクボタン鶴嶺八幡宮
(茅ヶ崎市)

源氏山の碑
リンクボタン源氏山の碑
(鎌倉市)
八幡太郎義家と鎌倉権五郎景政
リンクボタン義家と鎌倉権五郎景政

源義家の墓
リンクボタン源義家の墓
(羽曳野市)
源義家像
リンクボタン源義家像
(大国魂神社)


新羅三郎義光
(しんらさぶろうよしみつ)

 義家の弟で、佐竹氏や武田氏の祖にあたる。

 義光が兄義家に従って「後三年の役」に出陣するため鎌倉を訪れた際に、疫病が流行っていたため、京都の祇園八坂社(現在の八坂神社)の祭神を勧請したのが大町の八雲神社のはじまりとなる。

 同じ大町にある大寶寺境内の「多福稲荷神社」も義光が建てた。


大町八雲神社
リンクボタン八雲神社
(鎌倉市)
鎌倉・大宝寺
リンクボタン大寶寺
(鎌倉市)

祇園八坂神社
リンクボタン祇園八坂神社
(京都)

園城寺新羅善神堂
リンクボタン新羅善神堂
(大津市)
新羅三郎義光の墓
リンクボタン義光の墓
(大津市)


源義朝(よしとも)

 源為義の長男。

 鎌倉幕府を開いた源頼朝の父。

 扇ヶ谷(亀ヶ谷)の壽福寺付近に屋敷を構えていたとされている。

 義朝は、1159年(平治元年)の平治の乱平清盛に敗れ、尾張国野間に逃れた後、家臣・長田忠致の裏切りに遭い殺害される。

 その時、子の頼朝は伊豆の蛭ヶ小島に配流の身となった。

 逗子の法勝寺辺りにも義朝の館(沼浜亭)があったとされている。


壽福寺
リンクボタン壽福寺
(鎌倉市)
逗子・法勝寺
リンクボタン法勝寺
(逗子市)

勝長寿院跡
リンクボタン義朝の墓
(鎌倉:勝長寿院跡)
源義朝墓(野間大坊)
リンクボタン義朝の墓
(愛知県野間)


リンクボタン大庭城址(藤沢市)

リンクボタン懐島城址(茅ヶ崎市)

リンクボタン鯖神社(藤沢市)

リンクボタン鎌倉と源氏

リンクボタン源義朝最期の地

リンクボタン源為義の墓

リンクボタン由良御前

リンクボタン常盤御前

リンクボタン父為義と弟たちを斬った源義朝







〜源氏と鎌倉〜

 源氏が坂東進出に成功した原因は、「平忠常の乱」を源頼信が平定したことにある。

 朝廷は最初、忠常の征圧には、平直方を起用したが、のちに、直方を更迭し頼信を起用した。

 更迭された直方は、それでも頼信に従って一緒に制圧に向っている。
 生きるための決断というべきものかもしれない。

 何等の確証はないが、この直方の子孫といわれるのが、源頼朝を担ぎあげ、武家政権を創り上げる立役者となった北条時政といわれている。

 直方は、頼信の子頼義に娘を嫁がせ、鎌倉の地を寄進している。
 ここから、源氏と鎌倉の繋がりが出来上がった。

 のちに、頼義の子義家が後三年の役を平定したが、朝廷は私闘と判断し、恩賞が与えなかった。

 義家は自らの私財をはたいて家来に恩賞を与えたことで、義家の人気は高まり、「武神」と崇められるようになる。

 義家の子の代になると一族間での争いもあり、源氏はその勢いを失って行く。

 一方で着実に勢力を伸ばしたのが、「平忠常の乱」以降、源氏に従うのを嫌った伊勢平氏である。

 源氏は、義朝の代で立て直したが、平治の乱平清盛(伊勢平氏)に敗れ、義朝は討ち取られ、嫡男頼朝は伊豆(蛭ヶ小島)に流されることとなる。



〜京都で源氏を巡る〜

源為朝の墓
リンクボタン源為義の墓
(権現寺)

六条堀川館
リンクボタン源氏堀川館跡
左女牛井之跡
若宮八幡宮:六条堀川館
リンクボタン若宮八幡宮
源頼義創建



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リンクボタン鎌倉の歴史と源頼朝







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(伊豆韮山)


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