鎌倉手帳(寺社散策)

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新羅三郎義光の墓
〜鎌倉:大寶寺〜

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新羅三郎義光の墓


 新羅三郎義光の父は源頼義、兄は源義家

 「新羅」とは、近江の新羅明神で元服したことから呼ばれる名。

 義光は、兄八幡太郎義家の助勢(後三年の役)のため、検非違使の職を辞して後三年の役に参陣し、奥州の争乱を鎮めたことで知られる。



園城寺新羅善神堂
リンクボタン新羅善神堂
(大津市)
新羅三郎義光の墓
リンクボタン義光の墓
(大津市)





鎌倉八雲神社
リンクボタン八雲神社
八坂神社
リンクボタン八坂神社
(京都)


鎌倉祇園大町まつり
リンクボタン大町まつり
(7月)


 大町の鎮守八雲神社は、奥州に赴く途中の義光が、京都の祇園八坂社の祭神を勧請したことに始まると伝えられている。

 7月の「大町まつり」の神輿は、境内の義光の墓に向かい祝詞を奏してから町内を巡行する。









〜武田・小笠原に伝えられた弓馬道〜

武田流流鏑馬
リンクボタン武田流流鏑馬
小笠原流流鏑馬
リンクボタン小笠原流流鏑馬


 896年(寛平8年)、源能有が「弓馬の礼」を制定。

 その技術は、源経基が伝承し、満仲→頼信→頼義義家に相伝され、義家の弟義光から武田家・小笠原家に伝えられた(参考:鶴岡八幡宮の流鏑馬神事)。





〜義光伝来の笛「薄墨」〜

 源義経が愛用したという「薄墨」の笛は、義光伝来のものといわれ、駿河国の久能寺に奉納されたのだという(参考:久能山東照宮)。

 また、義光を祖とする甲斐武田家は、義光から引き継がれた「御旗」(日の丸)と「楯無」(たてなし)を家宝として崇拝していたのだという。



浄瑠璃物語


源義経と浄瑠璃姫〜鳳来寺の伝説〜





〜義光伝来の「御旗」・「楯無」〜

 義光を祖とする甲斐武田家は、義光から引き継がれた「御旗」(日の丸)と「楯無」(たてなし)を家宝として崇拝していたのだという。

 「御旗」は雲峰寺、「楯無」は菅田天神社に伝えられている。



雲峰寺
リンクボタン雲峰寺
(甲州市)
菅田天神社
リンクボタン菅田天神社
(甲州市)

 雲峰寺には、「御旗」の他に、信玄が用いた「風林火山」の軍旗をはじめとする武田家の重宝が伝えられている。

 武田信玄は、甲府の鬼門の守護のため「楯無」を菅田天神社に納め、必要に応じて持ち出したのだという。



御旗楯無 御照覧あれ


風林火山









佐竹屋敷跡
リンクボタン大寶寺

鎌倉市大町3−6−22

0467(22)2973



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