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東海道の矢作宿の長者・兼高は、子が授かるようにと婦人とともに鳳来寺に籠って祈願。 すると、満願の日、婦人の夢枕に白髪の老翁が現れて、 「望みどおりに子を授ける。 女の子が生まれたら浄瑠璃と名づけよ」 と告げたのだという。 間もなく婦人は身籠り、女の子が誕生して浄瑠璃姫と名づけられた。 すくすと育った姫は評判の美人となり15歳の春を迎える。 |
1174年(承安4年)、奥州平泉の藤原秀衡を頼るために鞍馬寺を出奔した源義経は、途中の矢作宿で兼高長者の家に宿を取った。 その夜の事。 浄瑠璃姫の奏でる琴の音が聞こえてきた。 その素晴らしさに引かれた義経が姫の琴にあわせて笛を吹くと、姫もまた義経の笛に引かれ・・・ いつしか二人の間に愛が芽生えた。 しかし、義経は奥州へと落ち延びる途中。 再開を約束して義経は旅立つが・・・ 半年を過ぎても義経からの連絡がない。 「半年過ぎても私が戻らないときは、鳳来寺の千寿ガ峯で待つように」 と言い残していた義経。 その言葉を信じて浄瑠璃姫は千寿ガ峯に。 庵を建てて義経を待ち続けていると、 義経がやって来るという噂が・・・ 喜んだ姫だったが・・・ 道行く人に尋ねてみると、3日前ほどに通り過ぎて行ってしまったとのこと。 悲しんだ姫は庵のほとりで自害して短い一生を終えたのだという。 |
岡崎市の伝説では、市内を流れる菅生川に身を投じたとされている・・・ |
義経が浄瑠璃姫の琴にあわせて吹いた笛は、「薄墨」と呼ばれ新羅三郎義光伝来のものなのだという。 源義朝→常盤御前→義経と伝えられたらしい。 徳川家康が埋葬された久能山の伝承によると、「薄墨」は久能寺に寄進されたのだという。 義経は浄瑠璃姫に久能寺に納めるよう頼んでいたのだとか・・・ |
愛知県新城市門谷字鳳来寺1 豊鉄バス (田口新城線)「鳳来寺」下車 Sバス湯谷温泉もっくる新城線「鳳来寺山頂」下車 |
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