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小笠原流・流鏑馬
鶴岡八幡宮例大祭

編集:yoritomo-japan.com








2024年鶴岡八幡宮例大祭の流鏑馬神事は中止となっています。



小笠原流・流鏑馬


 「小笠原流」は、小笠原長清を祖とする小笠原家に伝えられた武家礼法。

 9月の鶴岡八幡宮例大祭では、小笠原流流鏑馬が奉仕される。


 小笠原氏は新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏。

 初代長清は、1162年(応保2年)、加賀美氏の祖遠光の次男として誕生。

 母は杉本義宗の娘(和田義盛の妹?)。

 妻は上総広常の娘。

 26歳の時に源頼朝の弓馬礼法の師範となったと伝えられている。



長清の母は、和田義盛の娘とする説もあるが年齢からすると義盛の妹と考えられる。





〜甲斐源氏に伝えられた弓馬の礼〜


清和天皇

貞純王

経基

満仲

頼信

頼義

新羅三郎義光
(甲斐源氏祖)

義清

清光

加賀美遠光
(加賀美氏祖)

小笠原長清
(小笠原氏祖)


 896年(寛平8年)、源能有によって制定された「弓馬の礼」。

 その技術は、清和源氏の祖経基が伝承し、満仲→頼信→頼義義家と相伝され、義家の弟義光から武田家小笠原家に伝えられた。

 小笠原流流鏑馬は、鶴岡八幡宮の他、上賀茂神社下鴨神社の例大祭(葵祭)・日光東照宮の例大祭・富士山本宮浅間大社の流鏑馬祭などで奉納されている。



小笠原流・流鏑馬



〜鶴岡八幡宮例大祭と流鏑馬〜

 鶴岡八幡宮例大祭は、1187年(文治3年)8月15日、源頼朝が催した放生会を起源としている。

 放生会では流鏑馬も奉納され、それが鶴岡八幡宮の流鏑馬神事の始まりといわれている。

 例大祭は9月14日〜16日で、流鏑馬は最終日に奉仕される。



2024年の流鏑馬神事

 鶴岡八幡宮では、9月の例大祭に続いて、10月の崇敬者大祭でも小笠原流流鏑馬が奉納されます。


9月16日(月・祝)13:00〜
中止

10月?日(日)13:00〜



射手・諸役定めの儀

 例大祭に先立って行われるのが「射手・諸役定めの儀」。

 『吾妻鏡』によると、1187年(文治3年)8月4日、源頼朝は流鏑馬の射手と的立などの役を決定している。

 「射手・諸役定めの儀」は、その故実に基づいて行われる儀式。


9月1日(日)13:00〜










〜 神 事 〜
(13:00)


小笠原流・流鏑馬


 鶴岡八幡宮例大祭では、舞殿で流鏑馬神事の無事が祈願され、3人の射手に神器として弓矢が授けられる。

 流鏑馬は、神事→馬上からの弓引き→神事という一連の流れが重要。



小笠原流・流鏑馬


 3人の射手の装束は、「あげ装束」と呼ばれる鎌倉時代の狩装束。

 引き立て烏帽子に綾藺笠(あやいがさ)を冠り、鎧直垂(よろいひたたれ)に射籠手(いごて)を着け、夏鹿毛の行騰(むかばき)・太刀を佩き、背には箙(えびら)を負い、弓矢を持つもの。



流鏑馬・重籐弓
リンクボタン重籐弓

 重籐弓(しげとうきゅう)は、小笠原流で最高格の免許弓。



小笠原貞宗〜小笠原流礼法の中興の祖〜










〜 馬場入り 〜
(14:00頃)


小笠原流・流鏑馬


 舞殿での神事を終えると「馬場入りの儀」が執り行われる。

 奉行が「流鏑馬始め」の由を一の射手に告げると、的が懸けられ、馬場元と場場末役が紅白の大扇を掲げて合図し、射手が馬を馳せ、三つの的を射る。 



〜 埒 〜

小笠原流・流鏑馬


 鶴岡八幡宮流鏑馬馬場の長さは140間(254.54m)。

 馬場に設けられた柵を「埒」(らち)と呼ぶ。

 その高さは、 的側の「男埒」(おらち)が三尺五寸(約106cm)、反対側の女埒(めらち)が二尺八寸(約84cm)。

 埒の幅は弓一丈・七尺五寸(2m27p)。

 「埒が明かない」という言葉があるが、これは京都三大祭のひとつ賀茂祭(葵祭)に先だって行われる上賀茂神社の競馬会から生まれた言葉なのだとか・・・


リンクボタン埒が明く・埒が明かない〜上賀茂神社の競馬会と埒〜




〜 的 〜

小笠原流・流鏑馬


 的は一尺八寸角(0.55cm)の杉板。

 的の中心までの高さが六尺(1.82m)となるように青竹に挟む。

 馬場元から一の的までは20間(36.36m)、

 一の的から二の的までは40間(72.72m)、

 二の的から三の的までは43間(78.18m)。



小笠原流・流鏑馬
馬場末の扇



片鐙の礼〜流鏑馬の礼儀〜





〜 騎 射 〜

馬を馳せながらの矢声は・・・
「インヨー(陰陽)!」。



小笠原流・流鏑馬
「あげ装束」の騎射


 最初に行われるのは舞殿で弓矢を授かった3人の射手による騎射。



小笠原流・流鏑馬
平騎射


 続いて平騎射。

 平騎射の射手の装束は、騎射笠を冠り筒袖の紋付に小袴。



〜 陰陽! 〜

 「小笠原流」の礼法・歩射・騎射は、全てが陰陽道を軸に成り立っている。

 陰陽道では・・・

 この世の全ては陰と陽に分けられ、その二つの気のバランスと循環によって成り立っているのだという。

 流鏑馬の射手は「陰陽」と叫びながら的を射ていくが、これには神と呼応するという意味合いがあるのだとか。







リンクボタン弓馬四天王
(小笠原長清・武田信光・
海野幸氏・望月重隆)

リンクボタン西行と流鏑馬
(1186年(文治2年))

リンクボタン流鏑馬と熊谷直実の逸話
(1187年(文治3年))

リンクボタン流鏑馬と諏訪盛澄の逸話
(1187年(文治3年))

リンクボタン流鏑馬と河村義秀の逸話
(1190年(建久元年))

リンクボタン頼朝は弓矢の達人だった・・・

リンクボタン義時は弓馬の達人だった・・・





〜弓馬術の聖地〜

石和八幡宮
リンクボタン石和八幡宮
(笛吹市)

 石和八幡宮は、武田信光鶴岡八幡宮を勧請した社。

 源氏が重んじた射法相伝の儀式はすべてここで行なわれていたのだという。





〜流鏑馬発祥の地〜

城南宮
リンクボタン城南宮

 城南宮は、流鏑馬発祥の地として知られる。

 後鳥羽上皇は、城南流鏑馬のためと称して兵を集め、北条義時追討の院宣を発した(承久の乱)。



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江の島流鏑馬武者行列








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リンクボタン流鏑馬神事


 鶴岡八幡宮例大祭流鏑馬神事は・・・

 9月16日
 13:00〜
 (騎射は14:00頃〜。)

 10月の崇敬者大祭でも奉納されます。



浜降式
9月14日
神幸祭
9月15日










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