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運慶 鶴岡八幡宮例大祭



小笠原流弓馬礼法
小笠原貞宗と武士の規範

編集:yoritomo-japan.com








小笠原流流鏑馬


 鶴岡八幡宮例大祭で奉仕される小笠原流流鏑馬は、小笠原家に伝えられた武家礼法。

 小笠原家では、弓馬術を「糾方」(きゅうほう)と呼びます。


 小笠原氏は、新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏の一流。

 加賀美遠光の次男で源頼朝に仕えた長清が小笠原を称したことに始まります。

 長清は、頼朝から糾方の師範として重用されました。


 この「糾方」に「礼法」を加えたのが七代目の貞宗。

 以後、弓・馬・礼の三法が武家社会の作法となり、小笠原家伝統の基盤となっています。




片鐙の礼〜流鏑馬の礼儀〜





〜小笠原貞宗〜

 小笠原氏は、代々、鎌倉幕府に仕えていましたが・・・

 1333年(元弘3年)5月7日、幕府に反旗を翻した足利尊氏によって京都の六波羅探題が陥落。

 七代目の貞宗は、尊氏の嫡男で人質として鎌倉に留め置かれていた義詮が鎌倉を脱出すると、これに従い、5月8日、上野国の生品神社で倒幕の挙兵をした新田義貞と合流。

 義貞の鎌倉攻めに加わりました(5月22日鎌倉幕府滅亡)。

 1335年(建武2年)の北条時行の反乱(中先代の乱)をきっかけに尊氏が後醍醐天皇から離反した後も尊氏方の武将として各地を転戦して武功を挙げました。

 弓術・馬術に武家の礼法を加えた貞宗は、小笠原流礼法中興の祖と呼ばれています。





〜小笠原流は武士の規範〜

小笠原家紋
三階菱

 小笠原家の紋は「三階菱」(さんがいびし)。

 小笠原流礼法中興の祖・貞宗は、後醍醐天皇から「小笠原は日本武士の定式たるべし」と称えられ、家紋として「王」の字を賜ったのだといいます。

 三階菱は「王」を模したもの。





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小笠原流流鏑馬
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歴史めぐり源頼朝

 鶴岡八幡宮例大祭で奉納される流鏑馬は、1187年(文治3年)8月15日、源頼朝が放生会を催した際に奉納したのがその起源だという。










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