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雲峰寺(うんぽうじ)は、745年(天平17年)、行基によって開かれたと伝えられる。 寺伝によると・・・ この地で行基が修行していた際、霊雲が瞬き、大地を震わせ、高さ15mの大石が真二つに割れ、その裂け目から萩の大樹が生え、十一面観音が出現。 行基は、萩の樹で十一面観音を彫って安置したのだという。 天文年間(1532−1554)に焼失するが、武田信虎・武田晴信(信玄)の支援により再興され、1558年(永禄元年)、信玄は武運長久を祈願。 現在の本堂・庫裏・書院・仁王門はこの時期の建立と考えられ、重要文化財に指定されている。 臨済宗妙心寺派。 山号は裂石山(さけいしざん)。 本尊は十一面観音。 宝物殿には、武田家に伝えられた重宝 「日の丸の御旗」・「孫子の旗」・「諏訪神号旗」・「馬標旗」が展示されている。 |
宝物館に展示されている「日の丸の御旗」・「孫子の旗」・「諏訪神号旗」・「馬標旗」。 いずれも武田家ゆかりの宝物。 1573年(元亀4年)、武田信玄が死去すると・・・ 家督を継いだ武田勝頼は1575年(天正3年)の長篠の戦いで織田信長・徳川家康の連合軍に敗れ、1582年(天正10年)の天目山の戦いで滅亡。 家臣によって山伝いに運ばれた宝物は、雲峰寺に託されたのだと伝えられる。 「日の丸の御旗」は、我が国最古の日の丸といわれ、「楯無」(鎧)と対になるもの。 「楯無」は、菅田天神社に伝えられている。 「孫子の旗」(風林火山)は、信玄が恵林寺の快川紹喜に書かせて作らせた軍旗。 「諏訪神号旗」は、諏訪大社を崇敬していた信玄が「風林火山」とともに掲げた旗印。 「馬標旗」は、武田の家紋「花菱」が描かれたもの。 |
武田信玄は、甲府の鬼門の守護のため「楯無」を菅田天神社に納め、必要に応じて持ち出したのだという。 |
伝説によると・・・ 1582年(天正10年、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻で追い詰められた武田勝頼は、天目山の麓の田野の地で、松の根元に「御旗」(日の丸)を立て、嫡子の信勝(16歳)に「楯無」を着せて元服の儀を執り行ったのだという。 その後、勝頼と信勝は自刃。 「御旗」は家臣が山伝いに運んで雲峰寺に託し、「楯無」は向嶽寺の庭に埋められたが、のちに徳川家康が掘り出させて、菅田天神社に納められたのだという。 |
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![]() (甲州市) |
景徳院は、武田勝頼終焉の地・田野に徳川家康が建立させた寺。 向嶽寺は、甲斐武田氏八代当主の武田信成が創建した寺。 |
山梨県甲州市塩山上萩原2678 JR中央本線塩山駅から大菩薩登山口行きバスで終点下車 徒歩5分。 |
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