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諏訪大社(すわたいしゃ)は信濃国一之宮。 諏訪湖を挟んで上社と下社からなる神社で、諏訪湖南岸の上社には本宮・前宮が、北岸の下社には秋宮と春宮が鎮座。 創建年は不明だが、古くより軍神(いくさがみ)として崇敬され、平安時代には坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願を行い、源頼朝の挙兵に呼応して甲斐国で挙兵した武田信義も戦勝を祈願したのだという。 後白河法皇の『梁塵秘抄』には、関より東の軍神は、鹿島・香取・諏訪の宮としている。 鎌倉時代には源頼朝が神馬を奉納している。 戦国期には武田信玄が諏訪侵攻を行い、諏訪郡を領国化。 信玄は「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を掲げ、諏訪法性兜で出陣したのだと伝えられる。 |
大祝(おおほうり)は、諏訪大社の上社・下社の頂点にいた神職。 上社は諏訪氏・下社が金刺氏が務め、中世には大祝を中心とする武士団が形成された。 金刺氏からは弓馬の名手金刺盛澄などが出たが、1518年(永正15年)、上社大祝の諏訪頼満に攻められて滅亡。 以後、下社の大祝は武居氏が務めた。 |
金刺盛澄(かなさしのもりずみ)は諏訪大社下社の大祝。 諏訪盛澄とも呼ばれる。 源頼朝が挙兵したとき木曽義仲に味方したことから、義仲の滅亡後に捕らえられ、梶原景時に預けられていたが、鶴岡八幡宮で催された流鏑馬で妙技を見せたことで許されたのだという。 ![]() |
梶原塚は、金刺盛澄が梶原景時の変で駿河国清見ヶ関で討死した梶原景時に恩に報いるために建てたもの。 |
唐糸は金刺盛澄の弟手塚光盛の娘で、源頼朝を暗殺しようとして石牢(唐糸やぐら)に閉じ込められたが、それを救ったのが唐糸の娘の万寿だったのだという。 |
本宮 長野県諏訪市中洲宮山1 前宮 長野県茅野市宮川2030 春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193 秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828 |
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