奈良・京都

木曽義仲の墓
〜大津・義仲寺〜

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木曽義仲の墓


 木曽義仲は信濃の武将。

 1154年(久寿元年)、武蔵国比企郡の大蔵館で誕生したと伝えられる。

 河内源氏の源義賢の次男。

 源頼朝源義経とは従兄弟。

 誕生の翌年、父の義賢が源義平に討たれると、駒王丸は畠山重能・斎藤実盛らの計らいで信濃国木曽へ逃れ、乳母夫の中原兼遠のもとで育てられた。


義仲産湯井
リンクボタン義仲産湯井の清水
(嵐山町:鎌形八幡神社)


 1183年(寿永2年)5月11日、倶利伽羅峠の夜戦で平家軍を潰滅させて勢いに乗った義仲は、7月25日、平家一門を都落ちさせた。

 7月28日に入京するが、次第に後白河法皇と対立するようになる。

 後白河法皇に見放され、源頼朝の上洛を恐れる義仲は、11月19日、後白河法皇の法住寺殿を焼き討ち。

 12月には頼朝追討の院宣を強要、翌年1月には征東大将軍に任命される。

 これに対し鎌倉の頼朝は、弟の範頼義経に義仲追討を命じ、1月20日、範頼が瀬田から、義経が宇治から京を攻撃したことで義仲は惨敗。

 わずかな兵で京を脱出するが、範頼の大軍に攻められ、近江国粟津で討死した。


宇治川先陣の碑
リンクボタン宇治川先陣の碑

(宇治市)
瀬田の唐橋
リンクボタン瀬田の唐橋

(大津市)


木曽義仲の首塚
リンクボタン木曽義仲の首塚
(京都:八坂の塔)

 義仲の首は六条河原に晒された後、家臣の手で葬られたのだという。


巴塚
リンクボタン巴塚
(義仲寺)
巴地蔵堂
リンクボタン巴地蔵堂
(義仲寺)

 義仲寺は、義仲の愛妾・巴御前が墓所の近くに草庵を結んで供養したことにはじまると伝えられる。





木曽塚
リンクボタン木曽塚
(鎌倉:常楽寺)
清水八幡宮
リンクボタン清水八幡宮
(狭山市)

 義仲は、嫡男義高を鎌倉へ人質として預けていたが、頼朝は義仲を討つと義高も誅殺している。

 鎌倉の常楽寺裏山にある木曽塚は木曽義高の墓と伝えられ、狭山市の清水八幡宮は木曽義高を祀っている。







義仲寺
リンクボタン義仲寺

滋賀県大津市馬場1-5-12

JR 「膳所駅」 から徒歩10分
京阪「京阪膳所駅」 から徒歩10分










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