鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉の紅葉 鎌倉殿の13人
北条義時 長谷寺紅葉ライトアップ



木 曽 塚
〜木曽義高の墓:鎌倉・常楽寺〜

編集:yoritomo-japan.com







木曽塚


 常楽寺の裏山(粟船山)には、木曽義高の墓と伝わる塚がある。

 もともとは、ここから離れた木曽免と呼ばれていた田の中にあって、五輪塔が建てられていたが、1680年(延宝8年)、土地の所有者石井次左衛門が塚を掘ってみると青磁の骨壺が出てきた。

 「これは義高の骨だ」ということになり、常楽寺の裏山に葬ったと伝えられている。

 木曽義高(清水冠者)は、木曽義仲の長男。

 1183年(寿永2年)に挙兵した木曽義仲は、源頼朝と対立したが、長男義高を人質として差し出すことで和睦した。

 義高は、名目上、大姫の婿ということで鎌倉に送られてきている。

 しかし、1184年(寿永3年)、頼朝は義仲討伐の兵を京に派遣し、源範頼源義経らが義仲を討つと、鎌倉の義高をも誅殺した。

 (参考:木曽義高の誅殺 岩船地蔵堂


 義高が鎌倉へ人質として送られる際に随行したのが、のちに弓馬四天王と呼ばれる海野幸氏望月重隆だった。


リンクボタン志田義弘の反抗と木曽義仲との対立






〜木曽免〜

 塚周辺は「木曽免」と呼ばれていたが、これは義高にちなんで「貢税が免ぜられていた」ことによるといわれている。


〜伝説!政子の怒り〜

 義高が殺されたことで、大姫は大変傷つき、水さえも口にしないほど衰弱した。

 母の北条政子は、義高を討った堀親家の郎党藤内光澄を頼朝に迫って梟首させたのだと伝えられている(参考:岩船地蔵堂)。


源頼朝の娘大姫と殺された木曽義高(okadoのブログ)

大姫の病気治癒祈願〜源頼朝・・・日向薬師を参詣〜(okadoのブログ)

源頼朝の失政か?・・・大姫入内問題(okadoのブログ)

源義仲と源頼朝(okadoのブログ)



姫宮塚
姫宮塚

 常楽寺裏山(粟船山)の中腹(木曽塚の下)には姫宮の祠がある。

 北条泰時の娘の墓とされてはいるが、一説には、源頼朝の長女大姫の墓であるとも・・・。



〜木曽義仲の墓所〜
(滋賀県大津市)

義仲寺
リンクボタン義仲寺
木曽義仲の墓
リンクボタン木曽義仲の墓

 1184年(寿永3年)正月20日、木曽義高の父義仲は、源範頼源義経に攻められ、近江国で最期を遂げた。


〜木曽義高を祀る社〜
(埼玉県狭山市)

清水八幡宮
リンクボタン清水八幡宮

 清水八幡宮は、木曽義仲の嫡男で清水冠者と呼ばれていた義高を祀る社。

 首を取られた義高の遺体は、里人によって入間河原に葬られ、北条政子が供養をし、義高を祀る社が建てられたのだという。







歴史めぐり源頼朝



常楽寺
リンクボタン常楽寺

 常楽寺は、建長寺の根本といわれてる寺。
 1月の「文殊祭」では、開山蘭渓道隆が宋より持参したという秘仏の文殊菩薩像が開帳される。


鎌倉市大船5−8−29
0467(46)5735

大船駅又は北鎌倉駅から徒歩20分



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