|
堀親家(ほりちかいえ)は、源頼朝が伊豆国の流人だった頃から頼朝に仕えていた武将。 1180年(治承4年)8月17日の頼朝の挙兵に参じ、山木館襲撃で活躍した。 相模国進軍後の石橋山の戦いでは、大敗して椙山に逃れた頼朝を守るため、佐々木高綱・加藤景廉・天野遠景らとともに奮戦した。 |
1184年(元暦元年)4月21日、源頼朝は、堀親家らに鎌倉から逃亡した木曽義高(木曽義仲の嫡子)を討つよう命じた。 4月26日、親家の郎従・藤内光澄が入間河原で義高を誅殺したことを報告するが・・・ 6月27日、北条政子は、長女の大姫が病気になったのは義高を殺した藤内光澄の配慮が足りなかったとして斬罪に処したのだと伝えられている。 木曽義高は、人質として鎌倉に送られていたが、名目上は大姫の許嫁だった。 大姫は義高によくなついていたのだという。 |
清水八幡宮は、木曽義高を祀る社。 |
岩船地蔵堂 (鎌倉市) |
木曽塚 (鎌倉市・常楽寺) |
岩船地蔵堂は、大姫の守り本尊が祀られている。 木曽塚には、義高の首が葬られているという。 |
1203年(建仁3)9月2日、北条時政が比企能員を暗殺し、北条義時らが比企邸を攻めて比企一族を滅ぼすと、それを知った源頼家は9月5日、和田義盛と仁田忠常に書状を出して北条時政追討を命じた。 書状を届けたのは堀親家。 しかし、和田義盛が書状を時政に渡したことから、親家は捕えられて工藤行光に誅殺された。 仁田忠常は、翌日、北条時政邸に呼び出された帰りに加藤景廉に誅されている。 |
定林寺には、堀親家の供養塔が建てられている。 |
武門の神・鶴岡八幡宮が建つ場所は雪ノ下。 源頼朝が、盛綱や堀親家らに別当坊に山の雪を集めさせて氷室を作らせたことが地名の由来らしい。 |
静岡県静岡県伊豆市大野 県道80号「熱海大仁線」沿い |
大きい地図を見るには・・・ 右上のフルスクリーンをクリック。 |
|