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| 父源義朝とともに戦った平治の乱で平清盛に敗れた源頼朝は、伊豆国の蛭ヶ小島に流されたのだと伝えられています(現在の伊豆の国市)。 流人時代の源頼朝がどのような生活を送っていたのかは定かではありませんが、伊東祐親の娘八重姫との恋や、伊豆の豪族北条時政・その娘北条政子・怪僧文覚との出会いなどがありました。 そして、流刑となってから20年後の1180年(治承4年)、ついに源氏再興の旗挙げをします。 伊豆の国市には、源頼朝・北条時政・北条政子・北条義時にゆかりのある寺院や史跡が多く残されています。 上の写真は、守山山頂からの景色。 |


| 蛭ヶ小島は、平治の乱後、源頼朝が流された所と伝えられる。 |
| 毘沙門堂は、源頼朝に挙兵を勧めたという文覚ゆかりの堂。 |
| 源頼朝が祈願した不動明王と不動の滝。 |
| 山木館は、源頼朝に討たれた山木兼隆の屋敷。 |
| 香山寺は、源頼朝の山木館襲撃で討たれた山木兼隆を供養する寺。 |
| 皇大神社は山木の鎮守。 相殿には山木兼隆が祀られている。 |

| 北条時政邸の一部だったと考えられ、源頼朝と北条政子のために建てられた別亭があった場所とも |

| 北条時政の屋敷があったとされる所。 |
| 北条時政邸跡のにある北条政子の産湯の井戸。 |
| 光照寺は、願成就院の支院だったという寺。 源頼朝の宿館跡とも。 |
| 願成就院は、北条時政が源頼朝の奥州征伐の祈願所として建立。 |

| 願成就院の諸像は、北条時政の依頼により運慶が制作したもの。 |
| 守山八幡宮は、源頼朝が源氏再興の祈願をしたという神社。 |
| 信光寺は、源頼朝の下で弓馬四天王と称された武田信光が建てた寺。 |

| 真珠院は、源頼朝との恋におち、男児を産んだ八重姫の供養塔がある寺。 |


| 北條寺は、北条義時創建と伝えられ、義時夫妻の墓がある寺。 |
| 豆塚神社は、北条義時が崇敬したという神社。 |
| 北条義時は北条の分家の江間家の初代と考えられ、江間には北条義時邸があったと伝えられている。 |
| 珍場神社には、北条義時の嫡子だったという安千代丸の霊が祀られている。 |
(北條寺創建伝説) |
| 西琳寺は、源頼政の妻菖蒲御前ゆかりの寺。 |
| 東昌寺は、源頼朝に仕えた天野遠景ゆかりの寺。 |
| 天野遠景は、源頼朝の挙兵に参じて活躍した武将。 |
| 成願寺は、三嶋大社に参詣していた頼朝に草餅をご馳走していた餅売り嫗の伝説が残された寺。 |
| 荒木神社は、頼朝が参拝の度に社前の社木に鞍を掛けたという言い伝えから「鞍掛明神」とも称されていた。 |
| 成願寺・荒木神社とあわせて三島市に伝えられる頼朝の三嶋大社参詣の伝説をめぐるのも面白い! |




| 最明寺は、五代執権北条時頼の遺骨が分骨された寺。 |
| 国清寺は、鎌倉府の畠山国清が建立し、関東管領・上杉憲顕が大伽藍の寺院としたといわれている。 |

| 室町時代に堀越公方の御所があった所。 |
| 韮山城は、戦国大名・北条早雲が居城とした。 |
| 江戸時代に韮山代官をつとめた江川氏の先祖は、源頼朝に仕えていた。 |
| 本立寺は、江川氏の菩提寺。 鎌倉東慶寺にあった梵鐘が残されている寺。 |
| 世界文化遺産の韮山反射炉は、江川英龍の建言によって造られた大砲鋳造のための施設。 |
(熱海市) |
(箱根町) |
(三島市) |
| 伊豆山神社・箱根神社・三嶋大社は、流人時代の源頼朝が源氏再興を祈願した社。 鎌倉幕府を創設した頼朝は、伊豆・箱根の二所権現と三嶋社を参詣する「二所詣」を始め、幕府の公式行事となりました。 |

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