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東慶寺は、1285年(弘安8年)の創建(臨済宗円覚寺派)。 鎌倉尼五山第二位。 山号は松岡山、寺号は正式名称は東慶総持禅寺。 開山は、八代執権北条時宗の妻で覚山尼。 「覚山尼」の法号は、無学祖元より授けられたもの。 開基は、時宗と覚山尼の子北条貞時(九代執権)。 かつては、「駆け込み寺」とも「縁切り寺」とも呼ばれる女性を救済するための尼寺で、東慶寺で三年間奉公をすれば離縁できるという「縁切寺法」があった(五世用堂尼以降は24ヶ月に短縮。)。 後醍醐天皇の皇女用堂尼の入山で繁栄し、豊臣秀頼の娘天秀尼も住職を勤めている(徳川秀忠の娘千姫の養女)。 墓地には、覚山尼、用堂尼、天秀尼、釈宗演など歴代住職をはじめ、西田幾多郎、安倍能成、岩波茂雄、鈴木大拙など各界の有名人が眠っている。 |
鎌倉観音巡礼第32番札所 (聖観世音) |
開山:覚山尼
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開基:北条貞時
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本尊:釈迦如来
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松岡宝蔵の木造聖観音立像は、土紋が施された仏像で、廃寺となった太平寺の仏殿に安置されていたもの。 その仏殿は、円覚寺の塔頭正続院に移築されている舎利殿。 水月堂の水月観音坐像は、毎月18日の観音菩薩の縁日に拝観できる。 |
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寒雲亭は、裏千家の茶室で、一般公開はされていない。 白蓮舎は、立礼席(りゅうれいせき)の茶室で、アジサイ・ハナショウブが見頃になると茶店として公開されている。 |
開山覚山尼、五世用堂尼、二十世天秀尼、釈宗演などの歴代住職の墓のほか、哲学者の西田幾多郎、和辻哲郎、作家高見順、岩波書店創業者岩波茂雄らの墓がある。 |
東慶寺の歴代住職は、名門の出が多い。 五世用堂尼は後醍醐天皇の皇女(鎌倉宮の祭神護良親王の妹)。 用堂尼が入山したことで東慶寺はその地名をとって「松ヶ岡御所」と称された。 二十世の天秀尼は、豊臣秀頼の子で千姫の養女(千姫は徳川秀忠の娘で徳川家康の孫にあたる。)。 大坂夏の陣で秀頼の大坂城が落城すると、千姫の嘆願で助けられ、東慶寺に入った。 (参考:千姫の墓(京都:知恩院)) |
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釈宗演は円覚寺派管長を務め、東慶寺を中興した高僧。 円覚寺仏殿の「白龍の図」は前田青邨監修のもと、守屋多々志が揮毫したもの。 |
![]() ![]() 参禅百年記念碑 |
![]() ![]() 松ヶ岡文庫 |
円覚寺の釈宗演に参禅した夏目漱石は、のちに当時東慶寺にいた釈宗演を再訪している。 鈴木大拙は、明治から昭和にかけて活躍した仏教学者で、松ヶ岡文庫は、大拙の師・釈宗演の発案で東慶寺に創設された。 |
![]() (夏目漱石・鈴木大拙) |
1643年(寛永20年)、二十世天秀尼の養母千姫は、東慶寺の伽藍を再建。 横浜の三溪園にある旧東慶寺仏殿は千姫が寄進したもの。 |
東慶寺は天秀尼の嘆願によって徳川家康から縁切寺法を許可された尼寺だったが、満福寺も家康から認められた縁切寺・駆け込み寺だった。 千姫の侍女だった俊澄が中興したのだという。 |
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![]() (大名を罰した天秀尼) ![]() |
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鎌倉市山ノ内1367 JR北鎌倉駅より徒歩3分 |
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60年に一度の祭礼![]() |
源頼朝も祀る! |
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