鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉のアジサイ 鎌倉あじさい物語



鎌 倉 宮
=悲運の皇子護良親王=

編集:yoritomo-japan.com








鎌倉宮


 鎌倉宮は、1869年(明治2年)、明治天皇によって護良親王を祀るために建てられた。

 長い歴史において、この鎌倉宮が唯一「天皇自らが創建」した神社。

 祭神の護良親王は、「建武の新政」を行なった後醍醐天皇の皇子。

 親王は、楠木正成らとともに鎌倉幕府打倒を目指して戦い、幕府滅亡後には征夷大将軍に任ぜられたが、1334年(建武元年)11月15日、武家政権を狙う足利尊氏と対立し、この地にあった東光寺に幽閉されてしまう。

 翌1335年(建武2年)、十四代執権北条高時の子北条時行が反乱(中先代の乱)を起こした際、足利尊氏の弟の直義によって殺害された。

 境内には、親王が幽閉されていたとされる土牢が残されている。



祭神 大塔宮護良親王



〜大塔宮〜

 護良親王は、2度にわたって天台座主(比叡山延暦寺の貫主)となり大塔宮と称された。

 鎌倉宮も「大塔宮」と呼ばれている。


比叡山延暦寺
リンクボタン比叡山延暦寺


リンクボタン大塔宮と呼ばれた護良親王〜なぜ大塔宮なのか?〜









〜境内の見どころ〜

護良親王
リンクボタン祭神護良親王
鎌倉宮村上社
リンクボタン南方社と村上社


鎌倉宮土牢
リンクボタン護良親王幽閉の土牢


鎌倉宮首塚
リンクボタン構廟(御首塚)
多宝塔
リンクボタン多宝塔





鎌倉宮役割り石
厄割り石

 「かわらけ」に息を吹きかけ「厄割り石」に投げつけて割ると厄払いになるといわれる。

 厄割り石は拝殿前と大鳥居横の2箇所に設けられている。


古くより行われる「かわらけ投げ」は、厄よけなどの願いをかけて、素焼きの酒杯や皿を投げるもので、京都・神護寺が発祥の地とされる。





〜理智光寺と護良親王墓〜

理智光寺跡
リンクボタン理智光寺跡
護良親王の墓
リンクボタン護良親王墓

 殺害された護良親王の首は、理智光寺(廃寺)の住職によって葬られたのだと伝えられ、理智光寺跡には親王の墓がある。





〜護良親王が本拠とした吉野山〜

吉野山
リンクボタン吉野山


大塔宮仰徳碑
リンクボタン大塔宮仰徳碑
村上義光の墓
リンクボタン村上義光の墓


リンクボタン護良親王の身代わりとなって自刃した村上義光









〜護良親王が幽閉された東光寺〜

 『新編相模国風土記稿』によると、護良親王が幽閉されたという東光寺は、覚園寺東南の山麓にあって医王山と号する禅刹だったのだという。

 源頼朝の創建とも二階堂行光の創建ともいわれるが詳細は不明。

 廃寺となった後、本尊の薬師如来は名越の長善寺に移されたのだと伝えられている。

 その後、長善寺は大町に移転し、現在は薬師堂が残されている。

 横浜市金沢区の東光禅寺の寺伝では、東光寺は畠山重忠の創建とされ、応仁年間に武蔵国の釜利谷郷に移転したのだとか。





〜護良親王の妹・・・用堂尼〜

 東慶寺第五世の用堂尼は、護良親王の妹。

 護良親王の菩提を弔うために東慶寺に入ったのだといわれている。

 江戸時代には、護良親王土牢理智光寺東慶寺に管理されていた。

 東慶寺には、護良親王の幼名「尊雲法親王」が書かれた位牌が祀られている。





〜護良親王の子・・・日叡〜

 妙法寺の中興開山となった日叡は、護良親王と南の方との間に誕生。

 妙法寺の裏山には護良親王と南の方の墓が建てられている。





鎌倉宮節分祭
リンクボタン節分祭
伊豆の頼朝
リンクボタン伊豆の頼朝


鎌倉宮草鹿
リンクボタン草鹿
5月5日
鎌倉宮アジサイ
リンクボタンアジサイ


鎌倉宮獅子頭
リンクボタン獅子頭(お守り)


鎌倉宮の河津桜
リンクボタン河津桜

 鎌倉宮の河津桜は、おそらく、鎌倉で一番早く咲く桜。



鎌倉宮の初詣

湘南三社詣


リンクボタン童謡・唱歌「鎌倉」に歌われた社





明治神宮
リンクボタン明治神宮

 明治天皇を祀る明治神宮は、2020年(令和2年)で創建100年。









鎌倉宮
鎌倉宮

鎌倉市二階堂154
0467−22−0318

鎌倉駅から大塔宮行バス終点下車

日本遺産・いざ、鎌倉



鶴岡八幡宮周辺・西御門・二階堂
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。





鎌倉:寺社・史跡巡り


鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)



鎌倉のアジサイ 鎌倉あじさい物語


紫式部 紫式部年表


鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


徳川家康 日光東照宮