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護良親王の墓

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護良親王の墓


 護良親王は、「建武の新政」を行なった後醍醐天皇の第三皇子。

 護良親王は、楠木正成らとともに鎌倉幕府打倒を目指して戦い、幕府滅亡後には征夷大将軍に任ぜられたが、足利尊氏と対立し、1334年(建武元年)11月15日、東光寺に幽閉された。



比叡山延暦寺
リンクボタン比叡山延暦寺

 護良親王は、2度にわたって天台座主(比叡山延暦寺の貫主)となり大塔宮と称された。

 そのため、親王を祀る鎌倉宮も「大塔宮」と呼ばれる。


リンクボタン大塔宮と呼ばれた護良親王〜なぜ大塔宮なのか?〜





護良親王墓


 護良親王が東光寺に幽閉されてから9ヶ月後の1335年(建武2年)7月、十四代執権北条高時の遺児時行が反乱(中先代の乱)を起こしたため、当時鎌倉にいた足利尊氏の弟の直義は、淵辺義博に命じ護良親王を殺害した。

 護良親王は、義博の刀を噛み折り、死んでもなお放さなかったことから、恐れをなした義博は首を捨てて逃げ去ったという。

 捨てられた護良親王の首は、理智光寺の住僧によって葬られたと伝えられている。





〜護良親王が幽閉されたという土牢〜

 明治天皇によって創建された鎌倉宮には、護良親王が幽閉されていたという土牢が残されている。

 しかし、幽閉されていたのは、土牢ではなく土蔵のようなものであったという説もある。

 また、鎌倉宮のある場所にあったとされる東光寺に幽閉されていたのではなく、薬師堂ヶ谷(覚園寺のある谷)に幽閉されていたのではないかという説もある。



護良親王幽閉の土牢
リンクボタン護良親王幽閉の土牢





護良親王
リンクボタン護良親王
御首塚
リンクボタン構廟(御首塚)

(鎌倉宮)


リンクボタン足利尊氏・直義兄弟と鎌倉



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〜護良親王の妹・・・用堂尼〜

 東慶寺第五世の用堂尼は、護良親王の妹。

 護良親王の菩提を弔うために東慶寺に入ったのだといわれている。

 江戸時代には、護良親王土牢理智光寺東慶寺に管理されていた。

 東慶寺には、護良親王の幼名「尊雲法親王」が書かれた位牌が祀られている。


東慶寺用堂尼墓
リンクボタン用堂尼の墓
(東慶寺)





〜妙法寺の護良親王墓〜

 大町の妙法寺開山の日叡は、護良親王の子だといわれている。母は南の方。
 妙法寺の裏山にも、護良親王の墓が存在している。


妙法寺護良親王墓
リンクボタン妙法寺の護良親王墓





護良親王墓
護良親王墓

鎌倉市二階堂154

鎌倉駅から大塔宮行バス終点下車徒歩5分
鎌倉宮から徒歩5分)



鶴岡八幡宮周辺・西御門・二階堂
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