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理智光寺跡

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理智光寺跡


 鎌倉幕府滅亡後、1335年(建武2年)に起こった中先代の乱の折、足利直義の命を受けた淵辺義博は、東光寺(現:鎌倉宮)に幽閉されていた護良親王を殺害した。

 捨てられた護良親王の首を葬ったのが理智光寺の住僧だったという(参考:護良親王の墓)。

 理智光寺の創建がいつかは不明だが、大山寺を再興した願行(京都泉涌寺第六世)が開いたと伝わる。

 三代将軍源実朝の供養のために建てられた寺だともいわれるが定かではない

 明治初期まで阿弥陀堂が残っていたらしいが、1871年(明治4年)に行われた無檀・無縁寺院統廃合によって大楽寺とともに覚園寺に合併して廃絶。

 本尊「木造阿弥陀如来坐像」(鞘阿弥陀:土紋装飾)は、覚園寺薬師堂に安置されている。



護良親王
リンクボタン護良親王


リンクボタン大塔宮と呼ばれた護良親王〜なぜ大塔宮なのか?〜

リンクボタン鎌倉に泉涌寺派の法燈を伝えた願行





鎌倉宮土牢
リンクボタン護良親王幽閉
の土牢
護良親王の墓
リンクボタン護良親王墓





〜護良親王の妹・・・用堂尼〜

 東慶寺第五世の用堂尼は、護良親王の妹。

 護良親王の菩提を弔うために東慶寺に入ったのだといわれている。

 江戸時代には、護良親王土牢理智光寺東慶寺に管理されていた。


用堂尼の墓
リンクボタン用堂尼の墓
(東慶寺)


リンクボタン足利尊氏・直義兄弟と鎌倉





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理智光寺跡

鎌倉市二階堂154

鎌倉駅から大塔宮行バス終点下車徒歩5分
鎌倉宮から徒歩5分)



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