中世歴史めぐり

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大 山 寺
鉄造不動明王:伊勢原市

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大山寺


 大山寺(真言宗大覚寺派)は、755年(天平勝宝7年)、東大寺石山寺を開いた良弁によって聖武天皇の勅願寺として開かれた。

 第三世には弘法大師が入山している。

 源頼朝が戦勝祈願のための太刀を奉納したと伝えられ、大山詣の「納めの太刀」の風習は、頼朝の太刀奉納に始まるのだという。


 本尊の「鉄造不動明王像」は、鎌倉の胡桃ヶ谷にあった大楽寺の願行(京都泉涌寺第六世)が1274年(文永11年)に大山再興のために江の島に参籠し、「こんから童子」、「せいたか童子」とともに鋳造したもの(国の重要文化財)。

 鎌倉覚園寺の鉄造不動明王像は、願行が、大山寺の不動明王像を鋳造するに当たって試しに鋳造したものと伝えられ、「試みの不動」と呼ばれている。


 明治の神仏分離によって、大山阿夫利神社下社のある場所から、現在の場所に移された。



〜鉄造不動明王像の開帳日〜

毎月8・18・28日

秋のもみじ祭り開催期間中も開帳
11月8日〜12月8日


リンクボタン鎌倉に泉涌寺派の法燈を伝えた願行



東大寺と大山寺を開いた良弁の伝説

東大寺の大仏造立と観音伝説



大山の紅葉


大山寺もみじ祭 鉄造不動明王御開帳










〜大山詣〜

 江戸時代に入ると、徳川家康が大山寺を改革し、春日局は、家光が世継となるよう祈願するため参拝している。

 家光は、宇都宮の吊天井の難を逃れたのは不動明王像の加護のおかげとして深く帰依し、大山寺の造営(大修繕)を行っている。

 こうしたことから、江戸大衆の間でも大山の不動詣りが広まっていったという。



日本遺産・大山詣



〜大山詣と宝泉寺・江の島〜

 藤沢市辻堂にある宝泉寺は、源頼朝が勧請した寺ともいわれ、江戸時代には、大山詣の帰りに必ず参詣する寺として賑わっていたのだという。

 そして、藤沢宿に一泊した旅人は、翌日、江の島弁財天を参拝したのだとか。





大山寺
リンクボタン弘法大師堂
大山寺
リンクボタン青銅宝篋印塔


大山寺倶利伽羅堂
リンクボタン倶利伽羅堂

 斉藤茂吉の「金槐集私鈔」によると、源実朝『金槐和歌集』に載せられた「時によりすぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ」 は、倶利伽羅堂に祈念したときの歌なのだという。



大山寺
リンクボタン幸福の鐘
大山寺
リンクボタン大山こま



大山寺
リンクボタン女坂の七不思議
阿夫利神社
リンクボタン大山阿夫利神社



大山寺良弁滝 大山寺開山堂
リンクボタン良弁滝と開山堂

 一説によると、大山寺開山の良弁は、鎌倉由比郷の生まれで、父は由比の長者と呼ばれた染屋時忠なのだという。




東大寺と大山寺を開いた良弁の伝説

東大寺の大仏造立と観音伝説









大山寺 大山寺
かわらけ投げ(土器投げ)

 「厄除け」と書かれた土器(どき)を崖下の輪にめがけて投げ、輪の中をくぐれば幸運をもたらすとされている。

 「かわらけ投げ」の発祥は、京都の神護寺といわれている。





〜後白河法皇の四十九日法要〜

 『吾妻鏡』によれば、1192年(建久3年)5月8日、源頼朝後白河法皇の四十九日法要を勝長寿院で行った際には、大山寺の僧も3名参列している。

 他は、鶴岡八幡宮20人、勝長寿院13人、伊豆山権現18人、箱根権現18人、岩殿寺2人、金目観音3人、高麗寺3人、六所神社3人、杉本寺1人、窟不動1人、慈光寺10人、浅草寺3人、真慈悲寺3人、飯泉観音2人、国分寺3人。





大山寺の紅葉
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大山ケーブルカー
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大山寺もみじ祭 鉄造不動明王御開帳



大山の秋・・・大山寺から日向薬師へ(okadoのブログ)









歴史めぐり源頼朝




大山寺
大山寺

神奈川県伊勢原市大山724
0463−95−2011

小田急線伊勢原駅よりバス→大山ケーブル駅バス停→徒歩15分→大山ケーブル駅→大山寺駅→へ徒歩5分


リンクボタン源頼朝ゆかりの大山寺・日向薬師・飯山観音を巡る



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