鎌倉手帳(寺社散策)

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染屋時忠邸跡

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染屋時忠邸跡
染屋時忠邸跡碑


 染屋時忠は、藤原鎌足の子孫で、関東諸国の総司令官として東国8ヶ国を治め、「由比の長者」と呼ばれていた。

 鎌倉最古の神社といわれる甘縄神明神社を建てたのは時忠だといわれている。

 3歳の娘が大鷲にさらわれ、追いかけたが見つけることができず、肉片を見つけては娘のものと思い供養したという伝説が残されている。

 供養のための塔を建てた所は塔ノ辻と呼ばれ、鎌倉に7ヶ所あったのだという。

 その他、来迎寺(西御門)の如意輪観音、魔の淵のお地蔵さま妙法寺(大町)の鷲宮、六国見山の稚児墓、多聞院の岡野観音にも時忠の娘に関する伝説が残されている。

 大町の辻の薬師堂は、時忠が娘の遺品を見つけた名越に建てた長善寺の薬師堂だったのだという。



塔ノ辻五輪塔
リンクボタン塔ノ辻

 由比ヶ浜通り・笹目十字路の五輪塔。
 7箇所あったという塔ノ辻で唯一の遺構。









〜参考:東大寺二月堂の良弁杉〜

 一説によれば、染屋時忠は奈良の東大寺を開いた良弁の父なのだという。

 そして、鷲にさらわれたという伝説は良弁にも残されている。

 東大寺に残されている伝説によれば、良弁の父母は、観音菩薩に願ってやっと子を授かるが、金色の鷲にさらわれ行方不明となってしまった。

 あるとき、興福寺の義淵が春日神社に参詣しようとすると、途中の杉の梢に赤子をみつけた。

 その子が、のちに東大寺を開いた良弁だったのだという。

 東大寺二月堂前に植えられている良弁杉は、そのいわれの木と伝えられている。


東大寺二月堂
リンクボタン東大寺二月堂
大山寺良弁滝
リンクボタン大山寺良弁滝



東大寺と大山寺を開いた良弁の伝説





〜参考:総国分寺〜

 『鎌倉大仏縁起』によると、聖武天皇の勅願により建立されたという関東総国分寺としての清浄泉寺(現在の高徳院)は、時忠が奉行したのだという。


鎌倉大仏


 鎌倉大仏(高徳院)の入り口には、「聖武帝草創 東三十三箇国 総国分寺」と刻まれた石柱が建てられている。

 参考までに、高徳院の正式名称は「大異山高徳院清浄泉寺」。


リンクボタン鎌倉大仏造立を発起したという源頼朝の侍女・稲多野局の伝説









染屋時忠邸跡碑

鎌倉市長谷2−4−1付近

江ノ電「由比ヶ浜駅」から徒歩5分
鎌倉文学館交差点からすぐ。


甘縄神明神社
リンクボタン甘縄神明神社


江ノ電で鎌倉



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