鎌倉手帳(寺社散策)

多 聞 院
=とげぬき地蔵=

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多聞院


 多聞院(真言宗大覚寺派)は、山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身とし、永享の乱で衰えた観蓮寺を甘糟長俊がこの地に移したと伝えられる。

 隣接する熊野神社の別当寺院であった。

 別名「多聞天」ともいわれる本尊の毘沙門天が寺号の由来。

 「とげぬき地蔵」として知られている。


開山 南介僧都
開基 甘糟長俊
本尊 毘沙門天


リンクボタン鎌倉の真言宗の寺





〜晴明石と晴明の井戸〜

 山ノ内には陰陽師安倍晴明に関係する「石」と「井戸」が残されている。

 これらはかつて多聞院の所有だったといわれている。

 現在、晴明石は山ノ内の八雲神社の境内に置かれている(晴明の井戸は山ノ内の個人敷地内。)。

 その他、山ノ内にはJR横須賀線の踏切近く第六天社の鳥居背後に晴明の碑が建てられている。

 参考:晴明神社(京都)


陰陽師安倍晴明の伝説(okadoのブログ)



最蔵坊塚
最蔵坊塚

 鶴岡八幡宮神職鈴木左近重安の墓と伝えられている。



十一面観音
(岡野観音)

 由井の長者といわれた染屋時忠の娘が大きな鷲にさらわれ、その後、娘の残骨が六国見山の南で発見されたため、時忠は、この地に岡野観音堂を建立し、その菩提を葬ったと伝えられている。

 その堂に安置されていたのが胎内に娘の骨を埋めたという十一面観音。

 明治の神仏分離により多聞院に安置された。

 染屋時忠の娘に関する伝説は、来迎寺 魔の淵のお地蔵さま 辻の薬師堂 妙法寺 六国見山 塔ノ辻にも残されている。

 岡野観音堂は江戸時代に設定された鎌倉郡三十三箇所の一つ。



☆伝説!浪切不動尊☆

 弘法大師(空海)が修行のため渡った唐からの帰りに嵐に遭い、船が沈みかけた。

 空海が不動明王に祈ったところ、不動明王が現れ剣をはらうと波が二つに割れ、船はその中を進んで無事に日本へ帰えることができたという。

 そのため、多聞院の不動明王は 「浪切不動尊」と呼ばれるようになった。


(参考)
東寺・波切不動尊
リンクボタン波切不動尊
(京都:東寺)



多聞院庚申塔


大船の古道(常楽寺〜熊野神社・多聞院〜切通〜六国見山)






多聞院
多聞院

鎌倉市大船2035
0467(46)3591

大船駅よりバス 常楽寺下車徒歩5分



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