紫式部「光る君へ」


安倍晴明
花山天皇・一条天皇・藤原道長
に信頼された陰陽師


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安倍晴明像



 安倍晴明(あべのせいめい・はるあきら)は、平安時代の陰陽師。

 921年(延喜21年)1月11日誕生。

 賀茂忠行・賀茂保憲父子から陰陽道を学び、保憲から天文道の奥義を授かった。

 陰陽師は、星の動きで吉凶を予測し、呪術をつかっての厄除けや怨霊を鎮める役職。

 晴明は、平安以降、鎌倉時代から明治に至るまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。




~狐が生んだ子~

 晴明の父母については定かではないが、摂津国に安倍保名と葛の葉(白狐)との間に生まれた子という伝承がある。


リンクボタン安倍晴明の母・葛の葉は信太の森の白狐




~貴族が信仰した陰陽道~

リンクボタン物忌み~源氏物語にも描かれた陰陽道信仰~

リンクボタン方違え~方位神のいる方角を避ける陰陽道の信仰~





~蘇えらせた霊剣~

 960年(天徳4年)、内裏の火災で宝物が焼損。

 国家守護の霊剣とされる護身剣と将軍剣も文様が分からないほど焼けてしう。

 文様の調査で活躍したのが晴明。

 文様が再現されると、神護寺で再鋳造の儀式が行われ、霊剣が蘇ったのだという。

 この功により晴明は陰陽師に任じられたらしい。

 伝承によると・・・

 式神を呼び出して霊剣の文様を聞き出したのだとか。



神護寺
リンクボタン神護寺

 神護寺は、桓武天皇に平安遷都を上奏した和気清麻呂が建立した寺院。



晴明神社式神
リンクボタン式神像
(晴明神社)

 晴明は、式神に術を施して自在に操ったのだという。





~陰陽師としての名声~

 979(天元2年)、那智山の天狗を封じたことで花山天皇の信頼を得た晴明は、その後、一条天皇藤原道長の信頼も得るようになる。

 『大鏡』によると、986年(寛和2年)6月、花山天皇元慶寺で出家して退位するが、晴明は天変により、それを知っていたのだという。

 藤原実資の『小右記』よると、993年(正暦4年)2月、病に伏した一条天皇は、晴明が禊を奉仕したことで回復したのだとか。

 『御堂関白記』によると、1004年(寛弘元年)7月、深刻な干魃が続いたため、藤原道長は晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降ったのだという。

 晴明が陰陽師として名声を極めたことで、安倍氏は賀茂氏と並ぶ陰陽道の家として確立された。



元慶寺
リンクボタン元慶寺

 花山天皇が出家した元慶寺は、868年(貞観10年)、藤原高子の発願により遍昭が開いた寺院。



リンクボタン花山天皇の退位を知っていた安倍晴明~寛和の変~

リンクボタン花山天皇の頭痛を治した安倍晴明~髑髏の伝説:古事談~





晴明神社
リンクボタン晴明神社

 晴明神社は、一条天皇が晴明の偉業を讃えるため、晴明の屋敷跡に創建。

 晴明の屋敷は、御所の鬼門に位置にあった。





平安宮
リンクボタン平安宮
(大内裏)
平安宮内裏跡
リンクボタン内裏跡


 平安宮は、平安京の宮城。

 内裏は天皇の住まいで、儀式や執務などを行う宮殿。

 平安時代の内裏(御所)は、京都御所の西方にあった。



大極殿跡
リンクボタン大極殿跡
(朝堂院正殿)
平安宮豊楽院跡
リンクボタン豊楽殿跡
(豊楽院正殿)


 平安宮の中央には朝堂院、西に豊楽院、北東に内裏があり、それらを囲むように二官八省をはじめとする役所が建ち並んでいた。

 大極殿は、朝堂院の正殿。

 豊楽殿は、豊楽院の正殿。

 平安宮は、1227年(安貞元年)の火災で全焼した後は再建されなかった。



リンクボタン平安京の鬼門と守護・鎮護の神仏




京都御所
リンクボタン京都御所

 京都御所は、もとは里内裏の土御門東洞院殿。

 1331年(元弘元年)、光厳天皇が土御門東洞院殿で即位。

 以後、1869年(明治2年)に明治天皇が東京に移るまでの約500年間、天皇の御所として使用された。





安倍晴明 嵯峨墓所
リンクボタン安倍晴明嵯峨墓所

 晴明は、1005年(寛弘2年)9月26日に85歳で没したといわれ、嵯峨に葬られたのだと伝えられている。

 墓所では、命日には嵯峨墓所祭が斎行されている。





祇園祭山鉾巡行
リンクボタン祇園祭

 祇園祭の山鉾は天から降りた神様が宿る依代。

 長刀鉾の天井板には陰陽道で用いる28の星座が施されている。










晴明伝説


大倉幕府跡碑
リンクボタン大倉幕府
(鎌倉:源氏三代の御所)

 源頼朝が鎌倉入りしたとき、当座の御所としたのが晴明の護符が貼られていた山ノ内の首藤兼道邸を移築したものだった。



安倍晴明碑
リンクボタン安倍晴明の碑

(北鎌倉)

 山ノ内(北鎌倉)の安倍晴明の碑は、晴明の屋敷跡に建てられているのだとか・・・



八雲神社晴明石
リンクボタン晴明石
(北鎌倉:八雲神社)

 八雲神社晴明石は、火難・災難よけの神の石といわれている。



真如堂本堂
リンクボタン真如堂の不動明王

 真如堂本堂に安置されている不動明王像は、晴明の念持仏。

 急死した晴明を閻魔大王に頼んで蘇生させてもらったという伝説の像。



一条戻橋
リンクボタン一条戻橋

 一条戻橋は、晴明が殺害された父を蘇生させたという橋。

 十二体の人形(式神)を用のない時に石櫃に閉じ込めていたという橋。



園城寺
リンクボタン三井寺 園城寺

 三井寺の智興という僧が病気となり、安倍晴明の占いによって、弟子の証空が身代わりとなるが・・・

 証空が信仰していた不動明王が救ってくれた



京都:清浄華院
リンクボタン清浄華院

 清浄華院は、三井寺の伝説を描いた『泣不動縁起』を所蔵する寺。


リンクボタン安倍晴明の占いと師弟を救った三井寺の泣不動




浄妙寺想像図
リンクボタン浄妙寺
(宇治陵)

 浄妙寺は、宇治木幡の宇治陵に藤原道長が建立した寺。

 開山の勧修は、道長のところに届けられた瓜の中に、安倍晴明が毒がある占うと、祈祷をしてその瓜を特定したのだという。


リンクボタン瓜に毒があることを占った安倍晴明~古今著聞集~




法成寺址
リンクボタン法成寺址碑

 法成寺は、土御門邸の東側に藤原道長が創建した寺院。

 ある日、道長が法成寺の門を入ろうとすると、可愛がっていた白い犬がそれを止めたのだという。


リンクボタン藤原道長を救った白い犬と安倍晴明の占い




遍照寺
リンクボタン遍照寺
広沢池
リンクボタン広沢池


 遍照寺は、円融法皇の命により寛朝が創建した寺。

 ある日、遍照寺の寛朝のもとを訪れた晴明は、若い僧に「蛙を殺してみてくれ」と言われ、広沢池の蛙に草の葉を投げて殺してみせたのだとか。


リンクボタン蛙を殺した安倍晴明~遍照寺広沢池の伝説~










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