鎌倉手帳(寺社散策)

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妙 法 寺
=苔の寺=

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妙法寺


 妙法寺のある松葉ヶ谷は、1254年(建長6年)、日蓮が鎌倉に入って草庵を結んだ地。

 妙法寺は「松葉ヶ谷法難」の舞台となったといわれている。

 中興開山の日叡は、鎌倉で悲運の最期を遂げた護良親王の子で、日蓮の遺跡を守るためと、親王の菩提を弔うためにこの寺を再興したとされる。

 裏山山頂には親王の墓がある(参考:鎌倉宮 護良親王の墓)。

 江戸時代には興隆し、我が国最初となる「川施餓鬼」を隅田川の永代橋付近で行ったという。

 将軍徳川家斉もしばしば訪れたため、総門、仁王門、法華堂を朱塗にしたといわれている。


開山 日蓮(中興開山:日叡)
本尊 一塔両尊四師


リンクボタン鎌倉と日蓮

リンクボタン鎌倉の日蓮宗の寺









妙法寺本堂
リンクボタン本堂
大覚殿
リンクボタン大覚殿


妙法寺仁王門
リンクボタン仁王門
妙法寺苔の石段
リンクボタン苔の石段


妙法寺法華堂
リンクボタン法華堂
御小庵址碑
リンクボタン松葉谷御小庵跡



護良親王の墓
リンクボタン護良親王の墓





〜那須与一邸跡〜

 妙法寺のある松葉ヶ谷には、屋島の戦いで平家が掲げた扇の的を射落とした那須与一の邸があったと伝えられている。

 弓の稽古をする「的場」があったので、この辺りは「的場ヶ谷」と呼ばれていたが、それが訛って「松葉ヶ谷」と呼ばれるようになったとも伝えられている。

 那須与一の生没年は不明だが、京都・泉涌寺塔頭即成院に墓と伝えられる石造宝塔がある。





〜鷲の宮〜

 由井の長者といわれた染屋時忠の娘が大きな鷲にさらわれ、 その後、娘の残骨が各地で発見された。

 その一つが妙法寺のある地だという。

 染屋時忠の娘に関する伝説は、来迎寺 魔の淵のお地蔵さま 辻の薬師堂 多聞院 六国見山 塔ノ辻にも残されている。





清正公祭
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厄除生姜
リンクボタン厄除け生姜供養


妙法寺のシャガ
リンクボタンシャガ









妙法寺
妙法寺

鎌倉市大町4−7−4
0467(22)5813

鎌倉駅東口から徒歩15分



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